到着したバッテリー(鉛蓄電池)にDC/ACインバーターをつけ、さらに27W蛍光灯をDC/ACインバーターのコンセントにつなげたら、あっという間に緊急停電用照明ができあがった。バッテリー容量が20Ahと大きいので、点灯が3時間以上続けられそう。

ただ、気になることはやはり出てきた。

1. DC/ACインバーターに排熱用ファンがついているが、案外音がしてうるさい。離れるところにおきたい。

2. DC/ACインバーターも蛍光灯も高ノイズを出すので、ラジオを近くに置かないようにしよう。

費用はバッテリーが4,850円、DC/ACインバーターが2,480円、計7,730円。コストパフォーマンスが良いかどうかは、ひとによって認識が異なるだろう。

ちなみに、停電や計画停電で、通販や店頭のほとんどでは売り切れになっている三洋ブランドのEneloop 単一電池は容量5,700mAh(=5.7Ah)、約1,700円の売値。3本ぐらいで鉛蓄電池が買えてしまうので、鉛蓄電池はけして高くない。

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手元にあった定電圧電源。最大電圧30V、最大電流6A、5キロぐらい?とても重ったい。デジタル時代にあまり見かけないお化物。それを利用して、鉛蓄電池を充電してみよう。

本来一番いい充電器というのは、最大充電電流を制限できる定電圧電源。今回の鉛蓄電池では、初期充電電流を最大0.3CA(=0.3×20=6A)に制限できるもの。

取り敢えず、電圧を調整して、0.1CA(=0.1×20=2A)の初期充電電流でやってみたい。その後、電圧を徐々に高め、最後に13.68Vになるようになれば、終了する。

ところで、報道によると、計画停電は間もなく終了するみたい。せっかく準備したのに。そうなれば、サーバの無停電電源として活躍してもらうしかない。

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実際に実施した停電は自宅辺りでは3回ぐらいだったので、計画停電時の照明について対策はまだやっていなかった。ノートパソコンのディスプレイが十分明るく、それを照明代わりに暗闇のなかで数時間過ごしていたが、長期戦に備えて、本格的な対策を考えてみたい。

照明の効率を考えると蛍光灯にしたい。インバーター蛍光灯スタンドが手元にあるし。部屋全体を明るく照明するほうが望ましいが、下で書くように、発電機ではなく鉛蓄電池を利用するので、贅沢はいえない。容量は60Wまで、電流でいうと0.6Aまで。

秋月電子通商から購入できる鉛蓄電池の中では、12V20Ahの完全密封型鉛蓄電池 WP20-12が良さそう。同価格帯に22Ahのもあるが、在庫切れとなっている。定格容量20Ah、0.6Aなら計算上約30時間をもつが、繰り返し放充電すると鉛蓄電池が劣化していくので、7時間以上をキープしてくれれば万々歳。

鉛蓄電池以外に、DC/ACインバーターが必要。つまり、直流を100V交流にして、蛍光灯を点灯させるためだ。秋月電子通商に良さそうな商品が在庫切れなので、他のところから、連続最大電力150W以上の商品を物色する。DC/ACインバーターは本来車のなかで使うものなので、計画停電終了後にも活躍の場はある。

最後に、鉛蓄電池を充電する充電器が必要。コンセントに常時接続し、優しく鉛蓄電池を充電してくれる商品がいいが、手元に充電器があるので、そのまま活用したい。

ということで、①完全密封型鉛蓄電池 WP20-12、②連続最大電力150W以上のDC/ACインバーター、③充電器、の3つを急いで用意しよう。

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中国製ラジオの最新機種を購入した。TECSUNブランドでは、PL-550が手元にあるので、これが2台目。ちなみに、5台あった中国製ラジオはどれも故障なく、それぞれが個性あって、お気に入りだ。

PL-550は珍しく、シリコン樹脂の外装に対して、PL-660はふつうのプラスチック。手元のラジオはソニー以外、すべて黒だったので、今度はシルバーにした。

PL-550をベースに追加された機能は、Airバンド、SSB検波、同期検波。まだ使いこなしていないが、音質に関してはPL-550のほうがよかった。

余震や計画停電によって、ラジオをまた毎日聴くようになった。アンテナをさらに新調して、バルコニーに置き、本格的なDX環境を整えたい。

日本メーカーのラジオ新規開発は止まっているようだ。確かに、インターネット時代ではもっと便利なツールはいくらでもある。しかし、震災に強い(というか、被災地の多くでは唯一の通信手段)ということで再び評価されようとしている。

アマチュア無線の免許をもっているので、時間あれば、趣味のひとつとして復帰したい。

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手元にたまたま残っているカメラの一台。型番が分からないが、ドイツ KING KG社製 Regulaシリーズのひとつ。あまり見かけない一台だが、中級品のカメラ。

KING KG社は1951年、ドイツのBad Liedewzell地方の元時計メーカーであったキング氏が創設したカメラメーカー。多種類の中級カメラを製造してきた。中でもこの KING Regulaシリーズが主製品だった。1984年にディスクカメラに手を出したために失敗し、カメラ業界から撤退したらしい。

このカメラ、貼り革は一部剥がれているが、クロームメッキの質はよく、まじめにつくられた、ドイツらしいものだ。

距離計は非連動タイプだが、内蔵されている。軍艦部左側、巻き戻しダイアルの下部にある、フィート目盛りのダイアルを回すと、ファインダー内の2重像が連動して動く。距離合わせが終わったら、その値を手動で、レンズフロントのリングを回してセットする。ややこしい手順ではあるが、外付け距離計の内蔵化と思えば理解できる。

簡易露出計もファインダーに内蔵されている。1~6までの数字があって、軍艦部背後の右側窓から覗き、適切な明るさで読み取れる数字が明るさを表すのだ。正面の真ん中、細長い枠がその採光窓。しかし、その数字(LV値)をどうやって絞り値やシャッタースピードに換算するか、対応表はカメラに記されていない。

シャッター PRONTOR-SVS、B, 1~300、シンクロ V, X, M付き。絞り 2.8~16。絞りとスピードは別々にセットする。

レンズ Cassar 45mm F2.8、コーティングあり。

フィルムカウンターは手動でリセットする。巻き戻しロックレバーは底蓋にある。

撮影に必要な機能は一通り備えたカメラだが、当時の日本製カメラに対抗する力はもってなかったと思う。

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手持ちのこの一台は、シリアルナンバー 484316。Leica Pocket Bookによると、1949~50年に製造された Leica IIIcというものだ。

ライカ IIIcの最大の特徴はダイキャストになったこと。それまでの板金製だったボディが堅牢で加工しやすく、再組み立て時精度を出しやすいアルミ合金ダイキャスト製に変わった。ただ、サイズが幅が2.8mm、高さが2mmと大きくなり、カメラの分解もやりにくくなってしまった。

しかし、底蓋のメッキ剥がれからも分かるように、品質に問題があった。しかも、この現象はこの一台に限らず、当時つくられたものによくみられる。

第2次世界大戦が1945に終わり、ライツ社が外貨獲得のためにも、ライカの生産を再開した。しかし、資材の欠乏等の理由で、戦前の品質まで復活できなかった。また、伝統的なグッタペルカではなく、シャークスキンと呼ばれる縦皺の革張りになっていた。

ライカを買うなら IIIf か、戦前のものいいよ、そういわれるゆえんがそこにある。

でも、戦後ドイツの苦難を象徴するためにも、自分はあえてこのライカをも大事にする。ライカにも品質の良くない時代があったことを皆に伝えたい。

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1965~1969年に発売された、キヤノン社製レンジファインダーカメラの最高峰 Canon 7S。製造台数は約19,000。

これをもって、戦前の標準型(ハンザ・キヤノン)に始まる、キヤノン社製レンジファインダーカメラの歴史は、32年間という時を刻み、終焉を迎えた。その後、キヤノン社は一眼レフカメラの開発・製造に転向して、記念モデルを含め、2度とレンジファインダーカメラをつくることはなかった。

最大の特徴はCds露出計を内蔵したこと。電池を使うことで、いまとなって、多くのひとに嫌われている。いずれ故障するからだろう。そういう意味で、ライカは最後まで、露出計をバルナックライカに内蔵させなかったことが正解だったのかもしれない。

ファインダーは大きく、非常に明るく、数あるライカコピー機のなかでは最高の出来だろう。ブライトフレームが35mm, 50mm, 85(100)mm, 135mm 焦点に対応し、軍艦の左側にあるダイアルで4段切り替える。また、ファインダーアイピースは大きく覗きやすい。その右にはダイアル式の露出計スイッチと、押し込むと露出計が作動する測光ボタンが配されている。

1軸不回転式シャッターダイアル、レバー式巻上げ、クランク式巻き戻し、裏蓋のオープンによるフィルムカウンターの自動リセット、使い方は現代カメラとなっている。なお、シャッター幕は金属製、耐久性に優れている。

「50mm F0.95」という現在でも民生用として最も明るいレンズを装着できる。

60年代後半の製造でもあって、いまでも露出計を含めて、手持ちのこのカメラは完動の状態にある。

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借りた本に面白いことが書いてある。

「だから1枚レンズは最優秀」だと。

最近のレンズといえば、お決まりのズームレンズだけになってしまうきらいがある。単焦点は製造中止になったりする。しかし、複数枚のガラスによる光の吸収・反射により、光の明るさが落ちたり、フィルムやCCDに到着した光の質が変わったりするのは自明のことだろう。重量、金額、整備のしやすさからいっても枚数の多いレンズは感心しないという。

メーカーにとっては、高く売れる。それがブームの一因だと指摘できないのか。

さらに、著者は凄いことをいう。

使い捨てカメラはカラーが最高によく映る。それは1枚レンズ(単玉)だからであって、使い捨てカメラに優るカメラは地球上にない。これと同じ道理でトイカメラ(玩具カメラ)のカラー写りは最高。単玉レンズつきトイカメラでの描写は東郷堂製が出色のでき。

Simple is best。生活のなかでも、精密機器でも、その哲学は生きている。

1958年製の中国ライカコピーカメラ 上海 58-II を紹介したが、その時期の日本ではどういう事情なのかを書いてみる。

上海 58-II は外観がライカに近いが、故障が多く、当初から騙し騙しでしか使えないのが実情だった。しかも、1958年からスタートした大躍進政策の大失敗によって、数多くのひとが飢えに苦しみ、カメラのような贅沢品をつくる余裕は全くなくなり、技術開発も製造もその後長らく停滞してしまった。

一方、日本では、ニコン社の名機 Nikon SPが1957年に発売され、キヤノン社も1958年にこの Canon VL を発売した。

Canon VLはバルナックライカ用のLマウントレンズはそのまま利用可能だが、すでにバルナックライカを機能面では大きく超えた。

フィルムの装填はいまのカメラと同様、裏蓋を開ける方式になった。装填ミスはこれでだいぶ減る。

シャッター幕はメタルに変わった。しわがつく欠点はあるものの、耐久性に優れ、太陽光による穴開くこともなくなった。

巻き上げはレバー式に変わり、分割巻上げも可能。また、巻き戻しクランクが付いていて、シャッターボタン周りのダイアルを回せば、いつでも巻き戻しが可能。

ファインダーが3段切り替え式。すなわち、RF測距用、50mmレンズ用、35mmレンズ用の3段。ビューファインダを別途用意しなくても、35mm広角レンズで撮影可能。しかも、ファインダーが大型で、クリアな視界が確保されている。

シャッタースピードは巻き上げ前でも、巻き上げ後でも設定可能になった。持ち上げて、インデックスバーに合わせておけばOK。

カメラの一部にグッタペルカではなく、革で覆われている。割れたり、ボロボロになることはない。

要するに、カメラについての基本知識があり、MF一眼レフカメラの使い方をマスターしたユーザでいれば、説明を受けなくても、使えるカメラになった。いわゆる、現代的カメラに変身したわけだ。

なによりも信頼性が極めて高く、50年後のいま、その間整備を受けなくても撮影可能で、Lマウントレンズを使うのに必要十分な個体が多い。つまり、Canon VLは使いやすく、耐久性に優れ、信頼に値するのだ。

Canon VLは発売後、Canon VILや、Canon 7, 7Sと進化していき、1965年にキヤノン社のレンジファインダーカメラ生産の終焉を迎えた。

こう比較してみて、1958年当時の中国が、技術開発や製品の信頼性等、あらゆる面で日本に大きく遅れをとっていたことは明らかだ。

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