金曜の午後。

いつものように、PCの前に座っていた。左手に電話機が置いてある。

電話のベルが鳴った。1回、2回、3回、…、10回。脳にかわった予感がよぎり、受話器をゆっくり取った。

「わたしのこと、わかります?」

あの声だった。3年の歳月も過ぎたのに、昨日のように鮮明に覚えているあの声。 「はい、元気?」

泣き崩れた涙声が、受話器から伝わってきた。

しかし、通信状態が悪かったか、心の揺れが激しかったか、その後の相手の言葉はあまり聞き取れず、会話の内容もはっきりと覚えられなかった。

30分、いや、1時間以上も会話してたのに。

「さよなら。」 急に電話が切れた。

再会のスタートは、その電話からだった。

電話がかかってくる、実はそんな予感があった。

10年間も音信不通の友達から、流行のソーシャル・ネットワーク・サービスへの勧誘メールがあった。彼女がアメリカの大手通信企業に就職し、エンジニア・チーフになったらしく、仕事仲間を増やしたいのが目的だそうだ。10年は一昔とはいうけれど、自分のメルアドがそのまま、まだ使えることに驚いたと同時に、なぜ今頃私のことを思い出してくれたか、知りたい気がしていた。

子供を泊まりに行かせるから、宜しく頼むよ。別の友達からはいきなりこんなメールまでが舞い込んできた。1年も近く、互いに連絡がなかったのに、子供の世話まで頼りになるほど、ひとに信用されていい身分か、相手の気持ちは理解できずにいた。

平凡な生活に奇妙なことが続いて起きると、今度はその人が現われるかも、そう予感していたのだった。

予感や、直感、掴むところのないものなのに、昔と変わらず、それを信じるバカな私。

自分に都合のいいことを勝手に寄せ集め、自分をごまかしている。それだけのことを予感と誤解しているのかな、こう悩んだりもする。