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奇抜なアイデアに気づき、面白いネットゲームをつくった。

それをどこかのゲームソフトハウスに売り込みたい。最も条件のいい会社を探し出し契約し、お金持ちになりたい。

ところが、一番条件のいい会社を探すことが、実はなかなかの難問。ゲームの価値は会社が売ってみないと解らないかもしれないし、会社側の担当者それぞれが違う判断基準をもっている。こちらとしては真価より低い条件では嫌だし、かといって贅沢をいいすぎると、どこからも相手にされなくなる危険性もある。

その上、交渉相手の会社と条件が折り合わず決裂したら、2度と交渉できなくなる。契約してしまえば、さらにほかの会社と交渉することはできない。ただ道義上、同時に複数の会社と交渉してはいけない。

交渉できる会社が10社あるだけど、さて、どのような作戦で交渉をスタートすればいいだろう。

1番目の会社が提示してくれた条件が良さそうなので、そこと契約して終わらせる?
いや、どんないい条件でも、契約は見送り、ほかの会社の評価を見てみたほうがいいかな。だって、会社はバカじゃないし、いきなりいい条件を出してくれたのは、もしかしてホントに凄い作品なのかもしれないからね。

この問題、職探しや恋人探しと似てるよね。ただ、ふつう二股とか三股をかけたりするかもしれないが、簡単化するため、ここでは敢えて二股禁止にしたが、本質は一緒。とにかく、人生ではよく遭遇することなので、普遍性あり、面白い。一度真剣に考えれば損することはないよ。

どう交渉すればいい? 迷うなぁ。

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知りたい、とっても。なぜ人々が感動するのか。法則があるらしい。脚本家や小説家達がそれに沿って、作品を創り上げるだそうだ。ホントかな。

辞書では、深く物に感じて心が動かされること、との説明。どういう状態だと心が動かされるか、については私には判らないが、すくなくとも感じないといけない、それは良くわかる。

「愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心である。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。(エリ・ヴィーゼル・ふたつの世界大戦を超えて)」
という言葉通り、全く興味がなければ、感動なんかありえない。だから、感動の最低条件は共感され、引き付けられるものでないといけないことなのだろう。

ただ、関心があるだけでは感動するとは限らない。感動まで昇華するにはどこが違うだろう。

ネット上に、ディズニーの法則というのがあって、ヒントになるかもしれないので、メモしておく。

  • 感動すれば、人はもう一度そこへ来たくなる — だから、ディズニーでは、ゲストに「本当に夢の国にきた」と思ってもらうために、金と労力を惜しまない。
  • ゲストに感動を与えるために、キャストが担当する役割=キャストはゲストとのコミュニケーションで感動を与えること — お迎えする側の人間(キャスト)がパーク(ステージ=舞台)でショウを見せる。言葉と行動ですべてのキャストがゲストに歩み寄る。
    ゲストに感動を与えるために、モノが担当する役割=夢の国と思ってもらうために完璧な環境を整備すること –完璧な環境づくりには大変なお金がかかる、それでもお金をかける。遊園地ではない、ここは劇場だ。現実的な姿や「にせものとわかるもの」は絶対に見せない。
  • 夢の国に絶対にあってはいけないもの=それはゴミだ。夢の国にはゴミはない — そのために、600人のカストーリアルを使って15分に1度掃除をする。

要するに、にせものを本物らしくみせること? 確かに、実体験で感動することもあるけれど、現在社会では圧倒的に活字や映像による感動が多い。それらを本物と実感できることが大事だね。真実に感動あり、ということだろうか。

さて、社会現象になっている「冬のソナタ」にはまったひとがなぜ多いだろう。中高年が多いが、若い女性ファンも少なくない。

そのドラマに、何か「琴線」に触れるものがあるという。主役の男性に、理想と思われる「強さと優しさ」がある。女性をありのままに受け止めて、その悩みに共鳴し、成長していく女性を受け止める「器の大きさ」が感じられる。そして、自分の言葉を持っている。日本の男性は女性に対する言葉が少なく、何を考えているのか分からないのに対し、冬ソナの男性は自分の気持ちを表現する豊かな言葉を持っているらしい。

さらに、清楚で魅力的な女優に心が打たれるひとも多い。死んでしまった高校時代の淡い恋の相手を未だに忘れられないまま、一生懸命仕事をしている姿に、現実離れのある種の恋人としての理想像が成り立つのだろう。

そうした2人を巡る恋愛模様、家族の物語が、美しい風景と美しいテーマ曲をバックに展開され、最近の日本のドラマにない、ディズニー的「メルヘン」なのかもしれない。琴線に触れた人には「中毒」になる媚薬が多く揃っているドラマのようだ。

そこから感動の法則が導き出されるのだろうか。

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ボケてきたかな。簡単そうに見える問題だけど、ちょっと時間がかかってしまった。

身近なひとから出された問題。サイコロの確率計算。

阿部さんが先にサイコロを投げ、伊藤さんがつぎにサイコロを投げる。阿部さんのサイコロのほうが出た目の数字の大きい確率はいくらか。(念のためにいうけど、阿部さんも伊藤さんも身近にいたが、この問題とは無関係。でも阿部さん伊藤さん、元気?)

2分の1、一瞬そう答えたいけど。なにかが違う。つまり、阿部さんのほうが大きい確率が1/2だとすると、同じロジックで小さい確率も1/2。それでは等しい確率はゼロ?だからおかしい。

2分の1ではないのが確か。2分の1よりも少しだけ小さい。その計算は?

めんどくさいね。取りあえず、等しい確率を先に計算しよう。その確率は36通りの組合せのなかの6回なので、6分の1。

解った! 互いに等しくない確率は6分の5なので、片方が大きい確率は12分の5。それが問題の答え。間違いない。

単純で間違いやすい問題として有名だと後で知ったが、キミも計算できた? 数学が苦手?中学生の問題だから、逃げないでよ。

大人の数学、いま流行ってるらしい。この問題を難しくするには、サイコロの数を3個、4個と増やしてやって、n個に一般化すればいい。

つまり、問題をもう一度整理するね。何人かのひとにサイコロを投げてもらい、最初の阿部さんが投げたサイコロの出た目がほかよりも大きい確率はいくらか。

証明は省略するが、答えはこうだ。3個の場合は55/216。4個は25/144。
n個の場合は (5n-1+4n-1+3n-1+2n-1+1)/6n。  ← ちょっぴり美しく感じる

最後では意地悪問題になってしまうけど、阿部さんのサイコロが k番目に大きい確率は?kが1であったり(上の問題に同化)、2であったりする。しかしここまでくると、私はもうお手上げ、数学ってやはり難しい!

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旧暦8月15日、中国の伝統では中秋の日。春節につぐ大節句、十五夜に月を祀り、また秋の収穫を祝って地の神様を祀る。

この時期の満月は一年の中で最も丸く、最も美しいとされている。満月の丸い形は円満、完全等の意味から、家族の団欒や、遠方にいる親友や恋人、自分の故郷に思いを寄せる日になっている。

中秋の思い出はあまり記憶にないが、小さい頃、この季節になるといつも大きな月餅を食べていた。中国南方と北方とでは、当時では月餅のつくりは全く違う。南方のそれに色々な具が入っていて、柔らかく総じてとても甘い。カロリーの足りなかった時代だから、そうなってたかも知れないが、今では甘いものは遠慮されると聞く。

毎年、この季節になると家族や親友が祝ってくれる。数十年も経ったのに、いつも覚えてくれて、ホントに感激。忙しい日々に、昔の甘さを思い起こす時があって良かったと思う。逢えたら、いつものように語り合い、いつものように笑おう。

元気でいよう、いつまでも。

李白  静夜思

牀前明月光
疑是地上霜
挙頭望明月
低頭思故郷

牀前月光を看る
疑うらくは是地上の霜かと
頭を挙げて山月を望み
頭をたれて故郷を思う

I saw the moonlight before my couch
And wondered if it were not the frost on the ground
I raised my head and looked out on the mountain moon
I bowed my head and thought of my far-off home

静かな夜、白く光る月。異郷にいる人々が、故郷に思いを馳せるときによく用いるフレーズ。幾千年もの間、望郷の念が詩人たちに繰り返し詠われ、なかでも偉大な詩人李白(701?762年)の「静夜思」は、人々に最も愛吟される一首。

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新聞の投稿欄に、掛時計の修理見積代の高さに不信感を抱き、100円ショップでパーツを買って自分で直したとの記事が数週間前にあった。それに対し、修理職人の夫をもつ奥さんからは、簡単にできるものもあるけれど、多くの修理は複雑で技術や時間が必要。部品の取り寄せや保証期間のことなど、相応な修理代負担に理解してほしい、との投稿があった。

どちらも判る話ではある。修理に出す側は安くしてもらいたいし、新品以上に修理代がかかるとはふつう納得のいかないものだ。修理側にしては生活がかかっているから、部品代は別として時給数千円以上でないとやっていけないし、修理以外にも、技術確保のための努力等にコストがかさむ。

私も機械修理のことについてその大変さは判っているつもり。分解、クリーニング、交換、組立、調整、すべて手作業によるものが多い。一連の作業を数分とか、十数分で終わらせるのは多くの場合無理だろう。腕時計の電池交換だって1000円とか取られる。電池そのものはせいぜい100円そこそこ。

こういう矛盾にいくつかの理由が考えられる。まずは商品が安すぎること。掛時計が高価であれば、修理費用はそれほど高く感じずに済む。つぎは人件費の高いこと。時給100円でも喜ぶ時代だと修理費用も安くそれほど問題視にされないだろう。3つ目は修理のオートメーション化はなかなか実現できないこと。人手のかからない、ロボットによる自動化とかができるのであれば、安く直せるかもしれない。

じゃ、高い人件費で、なぜ安い商品が作れたか。結局そこに大量生産、大量消費を前提とした今日の生産システムの姿が見える。修理して再利用できるようにするとか、速く修理できる設計にするとか、部品をいつまでも安く供給するとか、そういうことはあまり生産側では考慮されていないと思う。コスト至上主義のいま、省けるものはすべて省かれ、修理のことまで考える余裕はないように見える。ひとい話だが、保証期間がすぎた段階で、いかに商品が早く自然に壊れるか、そんな研究が60年代のアメリカに既にあった。

こんな生産システムが続く限り、修理代の不思議さは解消されないと思う。良質な商品は高く販売され、皆がそれを長く大事に使い、多少の故障では修理してもらえる。昔に戻るかもしれないが、それが結果的に皆が幸せになれると思うね。良いものは高い、当たり前のことを正々堂々といえる社会になって欲しい。ユニクロが安売りをやめたと宣言したのも同じ考え?いや、それは安売りではやっていけなくなった、それだけだろう。

あるいは、アメリカのようにソフト中心のIT産業にシフトする。ソフトだと修理コストのことは違う概念で考えられるし、ネットからのバグフィックスやバージョンアップにすればアフターサービスのコストが低減できる。ただ、ソフトだけでは人々の生活は支えきれないだろう。

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そういえば、久々に映画を観た。いうのも恥ずかしい位長い間行かなかった。観る願望はあったけれどね。日本では映画の名前は「Lovers」になっているが、最後まで結局名前の意味は判らなかった。

古く中国唐代、唐王朝(男性二人)と反乱軍(女性一人)との間の争い。ストーリー自身にさほど面白みがなく、引きつけられたのは映像の美しさ、それに尽きる。水墨画の世界に紛れ込んだような山々と竹林の自然美。ため息の出る紅葉と、一転した最後の銀の世界。CGでうまく見せてくれた武術の数々も良かったし、何と言っても絶技をつくした章子怡 (Zhang Ziyi) さんの華麗な舞は圧巻だった。

ひとりの女性をめぐる男性二人の決闘。命を落とす覚悟で相手と戦うので勇気がいる。この時代ではできるひとはそういない。愛のために刀を投げ放つことのできない男性。愛のために体に刺さった刀を自ら抜き取って投げ放つ女性。愛の皮肉なのだろうか、愛の本質なのだろうか。

死を超えた愛、現在の価値観ではそれが究極の愛の形なのだろう。自己陶酔に一時的に陥ってたとか、気の狂いがあったとか、原因はともあれ、命が断ったしまった以上、完璧の愛と謳歌してあげたい。文句あるなら、自分もそうして見せればいい。

一瞬の火花を放つ愛に対し、何年も何十年も愛しつづけることのほうが遥かに難しい。家族愛ならともかく、心に秘めていきているのであれば、凄いことだと思う。だから悪役の男性にも理解してあげないといけない。

しかし愛は不思議。数日しか互いに知りあっていないのに、そのために命を捧げて犠牲したのだから。そんな愛、ホントに存在するのだろうか。あると信じたいけれど、私には恐らく自らする勇気がないし、されるのも嬉しくない。やるべきことがほかにいっぱいあるのだから。

「随風」、誰にも何事にも束縛されずに風のように生きる。こちらのほうが楽だし、たのしい。人生はそうでありたい。こんなことをいうひとは嫌い?

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数週間前からだったのかな、検索大手のGoogle日本語版ニュースサイトが立ち上がった。600以上ものニュース関連サイトから最新記事を検索し、自動的にページをつくっている。まだベータ版だが、結構うまく行っているようにみえる。見出しも、分類も、概要も、写真も、大きなミスはそれほど目撃できなかった。十何分前の最新ニュースが読めてやはり便利。それと、ページの一番下、米国、中国、台湾、香港向けのニュースリンクもついていて、ワンクリックで切り替わる。比較記事がすぐに読めてそこも面白い。

著作権の問題はどう解消されたか、興味津々だが、アルゴリズムやプログラムだけで、ニュースサイトすべてのことをやってしまうところにホントに感心した。Web検索からスタートしたGoogleが、得意な大規模分散処理システムを武器に、イメージ検索、NetNews閲覧、AdSense広告、1GB大容量Gmail、そしてこのニュース版、つねにIT業界に話題と刺激を与えてきた。Yahooのなんでもありというスタイルに対し、Googleは当初から、複雑な問題をアルゴリズムで解決しようという思想が一貫していて、好感が持てる。

Googleに刺激されて、特定分野のニュースサイトの自動化がこれから増える予感がする。自分としては、例えばLinux関連のそういう自動サイトができると嬉しい。また、特定分野のニュースを自動配信してくれるサービスがGoogleから発表されるだろう。

このブログでは、試験的にGoogleの広告 AdSenseを導入している。ページのキーワードにマッチングした広告が表示される仕組み。しかし、支払はアメリカから小切手を郵便で送ってくれるところにはいささか納得がいかない。パイオニアのGoogleなら、PayPalとか利用できるようにして欲しいね。まあ、100ドルになるまでは支払がないのだから、いつになることやら、期待はほとんどしていない。

Googleという名前の由来は、数学者Edward Kasnerの甥にあたるMilton Sirottaによる造語で、「googol 」からつけられた名前だそうだ。10の100乗の意味。何から何まで数学的だね。奥深いというか、スケールが大きい。

Googleのロゴもとても面白い。変わったデザインのものがネット上多く見られる。やはり一種のGoogle文化だろうね。Gooooooooooogle、検索結果の多さに連動したoの伸び縮みが可愛い。

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毎日毎日、大量のスパムがやってくる。缶ではなくメールのことだけど。一日平均100通以上。ほとんどが英語。発信元が国内からのものも含まれている。内容は、薬、性、ダイエット、健康、IT関連、投資、悩み相談、しまいにスパム対策等様ざま。中に、何通か発信者が私と名乗るのもあり、気がかりだ。恨まれたことはしてないはずなのに。

スパムメールがこれほど氾濫した理由は、コストがほとんどかからないこと、追跡が大変難しいこと、罰則がそれほど厳しくないこと、等だろう。宛先名簿の自動収集と、定額通信の一般化により、パソコン一台あれば、数百万通のメールを短時間にばら撒くことは容易い。送信元を簡単に偽造できるから、追跡から逃れることは難しくない。万が一捕まっても死刑にされることはないだろう。

しかし、受け取る側にとっては大変に苦痛。メール分別に時間がかかるし、重要なものまでゴミに埋もれて気づかないまま削除してしまう可能性だってある。ウィルスにやられるのも心配。出張等でメールを暫くみれないと、スプールオーバーで、受信停止に追い込まれるかもしれない。

自分のメルアドは自由に変えられないところが痛い。私の場合、10何年も、ずっと同じメルアドを使ってるから、狙い打ちにされてると思う。仕事上変えることはできない。こんな惨めな思いをしながらスパムと毎日付き合う人が大勢いるだろう。少なくとも周りの仕事仲間は皆酷い目に遭わされている。

幸いなんとか専用のフィルターをつくり、自動分別ができている。誤動作がほとんどなくなり、フォルダー丸ごと削除すれば済むようになった。しかし、まだ対策ができてないひとも少なくない。

Sender IDが結局標準化できないようだけど、国際社会は一日も早くこの問題に真剣に取り込むべきだ。一方的に被害を受ける状況はどう考えてもおかしい。是正しなければいけない。

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金曜、「秋の童話」をみている。Biglobeから、無料ストリームが各週流れてくるから。

韓国ドラマにはまったのはあの冬ソナから。何がきっかけだったのか覚えてないが、DVDに撮ってるのは第4話辺りからかな。その後の「美しき日々」。ミンチョルことイ・ビョンホンさんとチェ・ジウさん二人の演技にホントに脱帽。兄弟間、男女間、多くの葛藤をよくもここまで表現できたと思う。冬ソナ後半の暗さに比べて、美しき日々では最後まで目の話せない展開。文句なしのお薦め。ハマること請け合い。

今日の童話。10年ぶりに再会した兄妹。兄のジュンソが婚約したにも関わらず、妹のウンソのことはずっと気がかりだった。一方のウンソは苦しい状況に追い込まれていて、突如現れた兄に頼りきっているように見える。互いに相手の不変な気持ちが確認できたところで話が終わり。

さて私がお兄さんならどうする?オーナー息子のテソクがウンソに心が奪われたようだけど、大したライバルではないだろう。婚約者のことは確かに面倒。世間体のことを気にするひとだし、お金持ちの娘さんでもある。それよりもウンソの家族、結構やっかいな存在。どこまで面倒見なきゃいけないか。

婚約解消にそれらしき理由を探さないといけない。好きでなくなった、もっと好きなひとが見つかった。それだけで相手が納得してくれるか。でもこのまま心をウンソに置いてきたらもっと罪深い。ふたりを傷つけてしまうから。10年前は親の都合で別れるしかなかったかもしれないが、大人になったいま、自分の意思で行動しないと後悔するよ。

取り合えずウンソを連れ出して、暫く婚約者ともウンソの家族とも会わない。その間つぎの一手を考える。それがベストチョイスだろうか。

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メインブログに合わないものをここに書いておくね。感想や考えてること等。ただ、想像の世界でのことも多いので、読まれる方はあれこれ深く考えないように。気楽が一番。所詮バーチャルなんだから。

コンピュータ好きは文書が苦手。ロジックな世界に逃げ込んだのは表現や感情がそれほど豊かでないからだと、そう言われている。確かなことかもしれない。だから、どうしても書けない日には、代わりにほかの人に書いてもらうね。