兵馬俑博物館からは専用バスに乗って、秦始皇帝陵墓へいくことができる。入場料は兵馬俑博物館の入場券に含まれている。ただ、秦始皇帝陵墓自体はまだ発掘しておらず、地下に陵墓が存在するといわれているが、いま見えるのはただの丘だけ。

ということで、詐欺と訴えられたことが多かったせいか、バス毎の観光客に必ず解説員がひとり無料で付くようになっていて、解説員が説明しながら、2時間かけて1周して終わり、という見学コースになっている。見るものは広大な景色と、現代人が建てた墓石だけという不思議な陵墓地だ。

秦始皇帝陵は行く価値の全くない観光地というのが自分の出した結論。

140513-1.jpg140513.jpg140513-2.jpg140513-3.jpg解説員の話術にのせられて、「秦兵馬俑」という本を購入した。代金150元。兵馬俑の発見者と言われている楊東義さんが目の前でサインしてくれた。でも、よく調べたら、本当の発見者というのを特定しづらく、昔から俑の破片等がよく掘り出されたから。

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華清池からはバスに乗って、兵馬俑博物館に移動。バスを降りたらまず入場券を買わないといけない。本当の博物館入口までは1キロほど歩かないといけないが、そこにはなんと入場券の販売はしていないというずさんさ。往復するのは面倒と思う人はさらに高いお金を出して、入口の周りにいるチケット転売屋さんから購入するしかないが、偽チケットというのもあるらしい。

入場券は150元。

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兵馬俑とは、古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったもの。現在では、ここ、秦始皇帝陵の周辺に埋納された遺跡を指すことが多い。6000体とも8000体とも言われた兵馬俑の発掘は考古学の世界ではかつてないことだった。また、その謎が多く、研究価値は大変高い。兵馬俑および秦始皇帝陵はすでに世界文化遺産に登録されている。

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見学の順番は自由にアレンジしていいが、自分は、入って右側の陳列室→正面の第1坑→正面右側の第2坑→第2坑後ろに位置する第3坑、という順で回った。

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西安事件の跡地である環園が華清池の敷地にあったため、その跡地を見学した。入場料無料。

140512-20.jpg140512-21.jpg西安に訪れた蒋介石一行は、司令部として環園内の五間庁という部屋の棟を使用していた。

140512-24.jpg140512-25.jpg以下は蒋介石の執務室、および寝室。

140512-26.jpg140512-27.jpg140512-29.jpg140512-2a.jpg以下は会議室、および警護SPの寝室。

140512-28.jpg140512-2b.jpg1936年12月12日、軍閥張学良と楊虎城によって、蒋介石が拉致監禁され、最終的に国民党が共産党との内戦をやめ、一致して日本と戦う、いわば、共同抗日と国共合作という結果になった。

しかしその後、楊虎城は蒋介石に殺され、張学良は50年間に渡って蒋介石に軟禁されていた。そういうところを見ていると、蒋介石は大したことがないね、人間的には。

140512-22.jpg140512-23.jpg西安事件は日中戦争を語る上で欠かせない出来事だった。それにしても、中華民国の首都南京ならいざ知らず、西安でも蒋介石の幽霊に出会ったことは思いにも寄らなかった。毛沢東を記念するところはまだ一度も出くわしていないのに。

西安旅行の二日目、5月6日。6時半に出発。地下鉄2号線で半坡駅まで移動してから、バス307番線に乗り換え、華清池(華清宮)に向かった。

華清池は麗山の麓に位置し、皇家御用温泉遺跡として知られ、とくに皇帝唐玄宗と楊貴妃に関する愛の伝説は中国社会で熱く語られてきた。

140512-10.jpg入場券110元。

140512-11.jpg入口の広場に大きな彫刻が飾られているが、皇帝が貴妃とそんなふうに踊ることはありえないのに。

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入り口。まだ8時頃、観光客が少なかった。

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楊貴妃が使用したという池。貴妃像が現代人の好みに合わせてつくられた偽物。

140512-15.jpg140512-14.jpg140512-16.jpg140512-17.jpg140512-18.jpg隣の建物に、皇帝唐玄宗が使用した池が残っている。

140512-19.jpg140512-1a.jpg140512-1b.jpg温泉の湯がいまでも湧き出ている。

140512-1c.jpg敷地に宮殿や池が数多く残っていて、唐皇帝の力は絶大だ。

140512-1g.jpg140512-1h.jpg140512-1j.jpg140512-1e.jpg140512-1d.jpg140512-1f.jpg観覧車に乗って麗山に登ることもできるが、つぎの観光地に行かないといけなかった。

中国人観光客に奈良や京都を見せても、感動することはあまりないだろう。西安(当時では長安という)をモデルにして作られた町だから。パクリというと日本人は怒るけど、実態はそんなものだろう。

暗くなり、碑林博物館の展示品を見ることができなくなったので、近くの鼓楼まで歩いた。鼓楼の近くに鐘楼というのもある。

鼓楼は高台に太鼓が東南西北4方向にそれぞれ2個ずつ置かれ、時報のときに一斉に叩かれ、西安城全体が聞こえるようにつくられた建物。いわば、城全体の時計台という役割。また、戦争のときには、指揮官の命令に従い、さまざまなリズムの太鼓によって、城を防衛する兵士達を指揮するための建物、いわば司令塔でもあった。

西安の鼓楼は明朝初期の1380年に建てられ、高さ33メートル。登るのにまた入場券が必要なので、外から眺めることにした。

140512.jpgさらに鼓楼近くの回民街(イスラム教信者が多く住む町)に入ることにした。

140512-1.jpg140512-2.jpg140512-3.jpg夕食時間なので、有名なお店を選んだ。しかし、イスラム教の町なので、豚肉は口にすることはできず、羊肉の湯包を注文。でも、羊肉には慣れていないので、美味しさはわからなかった。

140512-4.jpg140512-5.jpgしかたなく、回民街を離れ、近くの餃子専門店「徳発長」に入り、餃子を注文。中国では、餃子といえば、水餃子しか出てこない。日本でいう焼き餃子は中国では餃子とは言わず、鍋貼という。

140512-6.jpg140512-7.jpgその後、夜景を見るために、鼓楼近くの広場でうろうろ。西安は北京から遠く西側に位置するので、日没時刻は遅く、夜8時になってやっと空が暗くなった。

140512-8.jpg観光の都市として、西安の夜景はきれい。電力エネルギーに困っていないようだ。

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西安半坡遺跡を後にして、バス11番線に乗り、南門バス停で下車。徒歩で碑林博物館へ向かった。途中、書院門を通過。書道関係の物を売るお店がいっぱい。

140511-10.jpg碑林博物館に到着したのは午後4時半。入場券75元。

140511-11.jpg140511-1d.jpg西安碑林博物館は北宋元祐2年(1087年)に建てられた中国最初の博物館だそうだ。各地にあった墓誌や石彫を専門に集めて、歴代皇帝や文人がそれを鑑賞し、それで書道を勉強してきたという。いわば、書道愛好家の聖地ともいえよう。

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今回は残念ながら、訪れた時間が夕方に近いだけでなく、天気が急に悪くなり、室内の暗い照明やガラスの反射が加わり、いい写真はあまり撮れなかった。以下はほんの一部。

140511-14.jpg140511-16.jpg140511-17.jpg140511-18.jpg以下は書道家 祝允明(1368~1644)の書。

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140511-1a.jpg140511-1b.jpg140511-1c.jpg展示の仕方はいろいろあり、ガラスで保護されたものもあれば、壁に埋め込まれたものもある。保護せず自然の風化でぼろぼろになってしまうものも数多く見かけた。

140511-1f.jpg140511-1g.jpg140511-1e.jpg展示品を見て思ったのは、反射しないガラスがあればなんとありがたいことか。あるいは、照明の工夫を博物館にして欲しかった。自分が博物館の責任者であれば、もっと魅力的な展示の仕方を考えるけどな。

5月5日、昼にホテルチェックインした後、すぐに五路口駅により地下鉄2号線に乗り、半坡駅で降り、半坡遺跡(半坡博物館)を見学した。入場券65元。

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半坡遺跡は6千年昔の新石器時代の仰韶文化(彩陶文化)の一部として知られている。1953年に発掘され、遺跡敷地面積は5万平方メートル。

140511-1.jpg当時(あるいはさらに古い時代)の遺跡は、半坡遺跡を含め、黄河流域で多く見つかっていて、黄河流域が中華文明の発祥地といわれる所以だ。

140511-2.jpg半坡人の顔の復元像(科学的推測が加えられたもので、考古学的価値はあまりないと思うが)。

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発掘した遺跡と埋葬された人骨。

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復元された住まいの模型。

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しかし、いくつかの謎はまだ解明されていないという。

1.陶器の底は何故尖っているか。井戸から水を汲み上げるときに、両側の紐を片側だけ引っ張れば、井戸水が簡単に陶器のなかに入れられるという説が有力視されているが、遺跡のすぐ近くに井戸ではなく、川が流れていて、尖る理由に納得していない研究者が大勢いる。

140511-4.jpg2.人面魚紋の意味。似たような模様が多くの陶器に見られている。この形の模様は半坡遺跡にしか見られず、集団のシンボル(集団紋)を表すものか。

140511-5.jpg140511-6.jpg3.記号の意味。漢字でないことは明らかだが、何らかの文字とも考えられる。

140511-7.jpg母系社会を形成していたとの説明には自分がまだ納得していないが、西安辺りが古くから多くのひとが集落として集まり、生活していたことがなんとなく理解した。食料品や飲用水をためこむために陶器が利用されていた。

記憶と写真を頼りに、西安旅行をまとめてみたい。

西安に訪れたのは5月5日月曜。5月1日木曜は中国ではメーデー、法定休日。さらにその週の休日土日を一日前倒して全国的に三連休だった。連休中の観光地はどこも観光客がいっぱいなので、それを避けて5月5日を選んだ。

上海から西安へのフライトは8時半。浦東国際空港は市内から遠く、地下鉄の始発時刻は6時頃。時間的余裕を考えて、知人が車を出して空港まで送ってくれた。6時頃出発、1時間弱で浦東空港第2ターミナルに到着。

140505.jpg座席の予約は前日行ったので、搭乗手続きではチケットの発券だけをしてもらった。運賃は往復含めて一人あたり1360元。身分証をもっていれば、もっと安いチケットの入手が可能だったが、パスポートでは、このあたりが限界かもしれない。

140505-1.jpgセキュリティチェックが厳しいと聞いたので、早い時間帯に出発手続きをした。登機口に着くとすでに飛行機が待機していた。機体はエアバスA321。

140505-2.jpg140505-3.jpg8時になると乗機開始。飛行機の出入口で懐かしい新聞「参考消息」を取った。「参考消息」とは、海外メディアの報導を直接中国国民が読みとる新聞で、80~90年代までは市販されておらず、共産党幹部(または企業内部)でしか入手できなかった。

140505-4.jpg飛行機はわりと新しいためか、内部はきれい。1列は3+3の6席、中央が通路。機内食はお粥、パン、スイカ等。

140505-5.jpg予定よりは多少遅れて、11半頃西安咸陽空港に到着。空港から西安市内の西安駅までの移動に空港バスを利用した。運賃26元。

西安駅からは解放路に沿って南に向かって15分ほど歩いたら、宿泊先の「全季酒店」に到着。保証金として1000元を預けてチェックイン。日本と違って、チェックインは朝6時以降ならいつでもOKらしい。

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部屋は予想以上の広さ、40m2に近い。冷蔵庫とバスタブがないのは南京のホテルと同様。かわりに、シャワルームは1畳ぐらいの広さ。料金は二人で1日あたり265元。

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5月5日~5月8日、西安に行ってきた。1000枚の写真を撮ってきたので、各観光スポットを1週間かけてゆっくり書くことにするが、この記事では全体のことについてまとめたい。

上海から西安までの往復はフライト、中国国際航空を利用した。宿泊は五路口に近い全季酒店。ホテルは南京よりも明らかにワンランク上、40m2に近い広さは二人の宿泊に十分すぎる。とくに熟睡に適したベッドと広いシャワルームは一日の疲れを癒すのに最高。

各日の日程は以下のとおり。

5月5日。フライトが早いので、友人に上海浦東空港まで自家用車で送ってもらい、8:30にCA1216に乗機、11:30に西安咸陽空港に到着。その後空港バスに乗り、西安駅に移動してから、歩行で宿泊先に着き、チェックイン。午後の観光先は半坡遺跡、碑林博物館、回民街、鼓楼、鐘楼。夕食は賈三清真灌湯包子館、および、徳発長で摂った。

5月6日。華清池(華清宮遺跡、西安事件遺跡)、兵馬俑、秦始皇帝陵遺跡、大雁塔(大慈恩寺)、大唐芙蓉園。

5月7日。西安歴史博物館、大興善寺(密教)、大唐西市、骨董品市場、清真大寺(回教・イスラム教)、高家大院、西安城牆。

5月8日。宿泊先近くの革命公園に行き、公園内の朝風景を見学。8時にホテルをチェックアウト。朝食を摂り、9時に西安駅から空港バスに乗り、12:15のフライトCA1215で上海に14:30に戻った。

西安旅行して感じたことは大いにあった。

1. 広いこと。遺跡が点在しているのも理由のひとつだが、秦・唐王朝はスケールがでかすぎたこともその理由。地下に遺跡が多く眠っていることが地下鉄の建設を阻み、観光スポット間の移動は大変だった。個人の意見として、地下鉄ではなく、路面電車(宇都宮市が推進しているLRT)を西安で建設すべきだ。

2. 食事はいまいち。現地のひとは上海・南京・杭州と明らかに違う味覚をもっている。ワンタン、餃子等は美味しいが、西安名物である羊肉泡モーはやはり口にあわない。

3. 入場券が高いこと。入場料無料は西安歴史博物館と大興善寺だけ。ほかの観光スポットは100元以上が多い。祖先が残した遺跡で稼ぐ西安人の商魂に脱帽。また、解説ビジネスも盛ん。日本で言う学芸員資格をもつ正式な解説員もいるが、多くは偽者。ただ、偽者といってもふつうの観光客よりは歴史や展示品についてよく知っているので、話している内容が全くのデタラメということではなさそう。

4. 古代中国はやはり凄かった。古代といっても、秦王朝から唐王朝までの期間だが、当時の世界からみれば、いまのアメリカ倍ぐらいの格差があったのではないか。

5. 問題や不満が沢山あったが、やはり西安は一度訪ねるべきところ。行ってよかった。

本日土曜夕方6時半~7時、上海ラジオ放送(正式名称は上海人民広播電台、AM 990kHz、FM93.4MHz)の上海方言によるニュース番組(阿拉聴新聞)を聴いた。標準語を使わず、方言だけで30分間喋るのは大変なことだ。

番組で紹介された上海方言:

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番組では紹介されていないが、わかりにくい上海方言:

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昔の上海ラジオ放送では、「上海農村人民広播電台」というチャンネルがあって、上海方言に近い言葉(上海市郊外の農村で使われている農村方言)での番組があった。しかし近年、上海市区の拡大によって、上海周辺の農民はすべて上海市民になり、農村という言葉は上海では死語になってしまった。農村人民広播電台も消えたようだ。

上海方言がラジオ番組になるのは2012年以降のことで、わりと新しい試みだ。上海の若者が標準語しかわからないから。上海方言の保存、普及に大変いいことだが、新しい概念や新しい考え方を上海方言で表現するのは大変困難。ちょうど、カタカナを使わずに日本語を喋るのと同じ辛さかも。

日本に戻ったら、ネットを使って毎週聴きたい番組にしたい。