格好をつけるために、パンフレットの表紙に「あなたを待っています」という日本語を他の多言語に訳して載せたいということのようだが、簡単ではない。

まず日本語に主語がない。私なのか、私達なのかは不明。

等你
我等你
在等你
我在等你

というのが直訳だが、意味的に近いのは次の訳。英語でいうWelcome。

歓迎
歓迎你来

年一度の春晩をまたネット経由で鑑賞した。政治的メッセージが少なくなり、海外の方に見せても楽しめる内容が増えた。オリンピック金メダルリストが多すぎるせいか、出番はまったくなかった。歌があり、踊りがあり、笑劇があり、マジックがあり、紅白を目標に始まった番組が益々面白くなったと思う。

130210.jpgよく聴いているCeline Dionはオナカが出ている。日本では一般的にセリーヌというが、向こうはセイリン。英語圏ではセリーヌじゃ通じないわけか。

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数枚の北朝鮮に関する写真をみている。宣伝の意味が含まれているので、実際の生活とは掛け離れているところもあろうが、意外にも文化や伝統が読み取れる気がする。

家具が少なく、照明が暗い。コーナーに置いてあるのはテレビのようだが、日本から見るととても小さいサイズ。場所的にはソファから相当離れている。撮影のための飾り物かもしれない。

しかし、床に正座している姿は日本でも珍しいが、お客さんとは正座して話し合うことはいまの北朝鮮では礼儀作法のひとつだろう。ソファでは失礼という考えなのか。正座という習慣は中国の古代にあったのかもしれないが、いまの中国には全く残っていない。となると、日本は少なくとも朝鮮半島から影響を受けていたことだろうか。正座が日本の独自文化という論調はこの写真一枚で見事に崩れ、写真の偉大さはしみじみと感じている。また、目上の人は正座でなく、胡座でもいいという習慣が残っているようだ。

それと座布団がないのが気になる。貧乏だからという意見が日本人に聞かれるが、座布団そのものはないのかもしれない。あるいは、正式な正座では座布団を使ってはいけないという意見が日本で聞かれるので、わざわざ座布団を外した可能性もある。

女性が真紅のチマを着ているのは新婚だからだろうか。それにしてもチマチョゴリが正座によく似合う。スカートはやはり正面から覗かれることを考えると失礼だし、正座に合わない。

漢字が全く使えない北朝鮮では書道が残っているところも面白い。やはり社会は歴史を背負っている。

清明の本日、お墓参りならぬ小籠包堪能になった。メトロ11号に乗って、あっという間に南翔駅につき、バスに乗り換えて本家本元「古猗園」にたどり着いた。朝8時なのに、すでに多くのひとが中で食べている。

早速ひとり一皿20個を注文、25元(320日本円相当)也。心ゆくまで堪能した。やはり、食は上海にあり。

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大和ミュージアムに展示されているもの。海上自衛隊関連施設といっていいぐらいの歴史科学館なので、恐らく本物かその写しだろう。

書はひとを表し、字は人格を表す。綺麗に書くにはそれなりの天分、努力が必要。そういう点から見ると、山本五十六氏は立派な方だと思う。

現代人は文字を書くことが少ないし、筆で書くことはほとんどないので、文字を綺麗に書けなくなった。とても残念なことだけど。

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大和ミュージアムになぜ海神(ポセイドン?ネプチューン?)の彫刻を飾らないといけないか、全く理解に苦しい。さらに気になったのは、西洋って童貞信仰なのか、とのこと。聖母マリアの延長上、童貞信仰あっても極自然なことかもしれないが。穢れのない姿は西洋文明の理想像か、ググっても全く答えは見つからない。処女信仰は日本でも根強いが、童貞はバカの対象にしかならない。

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数量詞は数量を表すもの。「数詞+助数詞」がいうパターンがよく使われる。

たとえば、「5枚の紙」では、5が数詞、枚が助数詞だという。

① 英語では five sheet of paper に相当するが、わざわざ数詞まで使うことが英語には多くなく、名詞の単/複数変化(たとえば名詞にsをつける)だけで量の変化を表す。自分と他人、1と複数だけの区別が英語文化では重要だろう。

② 日本語では、名詞がデフォルトでは1を意味すると思っていいかもしれない。たとえば、中国語の「吃个苹果」をわざわざ日本語の「りんごを1個食べる」に訳せず、「りんごを食べる」で十分だろう。

③ 日本語に助詞があるためか、「数量詞の遊離」または「数量詞の移動」という現象がよく見られ、日本語として自然になることが多い。
 3個のりんごを食べる → りんご3個を食べる → りんごを3個食べる
 4人の男が10本のビールを飲んだ → 男4人がビール10本を飲んだ → 男が4人、ビールを10本飲んだ

④ 「名詞と助数詞」の組み合わせが国全体では文化を表し、個人レベルでは教養を表し、大変難解だろう。時代と共に変化し、業種によっても言い方が違う。以下の表は魚類の数え方をごく一部表すもの。完全な表は地域によって、職業によって、時代によって異なるので、作れるはずはない。

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⑤ したがって、翻訳においては、助数詞の訳は最も難しいと考えていいかもしれない。両言語の文化・時代背景、話者や筆者の知識をすべて理解しないと、適切に翻訳できないから。

自分が書いた文章を何度も読み返すことはあまりしていないが、言葉がもつあいまいさについてはよく理解しているつもり。だから、重要な文章は書いたら、数日置いてから読み返すことにしている。

よく引用された例として、たとえば、「の」のもつあいまい性。

「先生の本」という言葉に3通りの解釈があって、①先生が書いた本、②先生が持っている本、③先生について書かれた本、のように、前後の文脈が解らないとどれも正しい解釈になる。

自分の書いた文章がおかしくないか、意味が伝わらないじゃないか、そう危惧して何度も何度も書き直すことでやっと文章力が成長するものだと思う。

元旦から、中国中央テレビに、新たに、CCTV-9 記録チャンネルが開通した。中国の自然、文化、歴史、考古の映像記録を、衛星やインターネット経由で無償で世界に放送する内容だ。

専門性が高く、ほとんどが自分の知らないことばかり。数千年の中国文化の奥深さは、観れば観るほど実感する。こういう内容は、日本だとNHKスペシャル番組に相当するが、週1回あるかないかの放送に対して、CCTVでは毎日24時間やっているからね。経済、軍事に続き、ソフトパワーの面でも世界進出を狙った中国国家戦略の一環だろう。

??是一?精神,??是一面?子,??是一个生命??一个生命的?示。
?史?天都在?生。留住今天,留住明天的?史。
地球上?一个地方都有故事,?些故事?乎?一个生命。天地广?,万物自在。生命之旅,即将?程。

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