ゴミだらけのネット空間に比べ、大家や専門家の書いた書物を陳列する図書館が好き。本日、たまたま、『上海にて』が目に止まった。終戦前後の上海をレポートしているような文学作品。作者の堀田氏が1918年生まれ、1945.3.24〜1946.12.28上海にいた。終戦後も国民党に留用されていたという。日本軍、そして国民党に奉仕した彼はなぜか中国共産党に味方し、戦後日本を代表する進歩派知識人だったらしい。その証拠として、ノーベル文学賞者大江健三郎氏が本書を解説し、「中国について日本人が、戦後に書いた、もっとも美しい本のひとつがこれだと」評したのである。

時間をかけ、じっくりと読破したい。本のベースになっていると思われる「上海日記」をも手に入れたい。


中国のネットでは、上海のメインストリート「淮海路」は、最初の名が「西江路(1901年1月30日)」、その後「宝昌路(1906年10月10日)」「霞飞路(1915年6月21日)、英語名 Avenue Joffre」「泰山路(1943年10月8日)」「林森路(1945年10月)」と改名され、1950年5月25日に現在の名になった、との情報に対して、本書では、「アヴェニュ・ド・ジョッフル=霞飞路 → 中山路 → 中正路 → 淮海路」と証言している。また、改名の時期としては、太平洋戦争開始と同時に日本軍が租界を接収して汪精衛政権に返還したときと、1945年日本軍が降伏したとき、1945年上海が解放されたとき、とも説明している。どっちが正しいか。

朝刊の天声人語が短く、いい文章が多いので、時間をかけてよく読むようにしている。ふだん仕事していても、接する言葉の範囲はそう広くない。ましてや自分の発する言葉は、もっている知識の一部でしかない。

本日の内容から。

畠田(はたけだ)さん。はただと読むこともあり、本人に聞き、覚えるしかない。なお、自分の見解では、畠という字は国字である可能性が大。

ストール。長方形の肩掛け。似た物には、スカーフ、マフラー、ショール、ネッカチーフなどがある。日本語はカタカナのまま使うことが多いが、中国語なら、「披肩」,「围巾」,「围脖」、「头巾」というようだ。男性がつけていいのは一般的にマフラーとネッカチーフだけ。肩にかける、首に巻きつける、首にかける、というふうに使う。

生粋(きっすい)。生粋の大阪人、生粋の江戸っ子。もっぱら出身地や素性に使う。生粋の歌舞伎役者。

唱える(となえる)。シソーラスに、訴える(うったえる)、歌う(うたう、唄う、謳う、謡う)、詠じる(えいじる)、誦する(じゅする)などが並ぶ。

腹の底と心の底との違い。「女性が輝くと持ち上げても腹の底は違う」と書いてあった。「心の底」ではおかしい。腹の底から笑う(=抱腹絶倒(ほうふくぜっとう))。腹の底に落ちる。腹の底が煮え立つ(似た表現は、苛立った憤りがじりじりと胸の奥に食い込む)。

上っ面(うわっつら)。見せかけ。対義語は、内心、内実など。

ところで、文章では少子化は実は女性の抵抗、だと結んでいるが、先進国では移民国家以外はみな同じ傾向。子育てがやはり大変。生活が豊かになり自分たちの老後を心配することがなくなれば、おのずと産まなくなるということのほうが真実じゃないかな。

それにしても、短文読みは楽しい。読みや意味、シソーラス、対義語、例文などがネット時代ではすぐ解るので、新しい知識は思い存分吸収できそう。

言語はすべて難しい。ネーティブに並べようとすれば並大抵の努力だけでは無理で、それなりのセンスの持ち主でないといけない。

中国語の場合、発音が漢字をみても分からないので、読むのはまず難しい。また、日本語と違って助詞がなく、主語動詞の分け方も簡単ではない。さらに、古文があり、一般の中国人平均レベルでも分からないものがほとんど。

以下の文章は古文ではないが、中国社会の現状を知らないと意味の理解はきっと無理だろう。

1.

阿呆给领导送红包时,两人的对话颇有意思。
领导:“你这是什么意思?”
阿呆:“没什么意思,意思意思。”
领导:“你这就不够意思了。”
阿呆:“小意思,小意思。”
领导:“你这人真有意思。”
阿呆:“其实也没有别的意思。”
领导:“那我就不好意思了。”
阿呆:“是我不好意思。”

2. 请写出以下题目中,两句话的区别:

冬天:能穿多少穿多少;
夏天:能穿多少穿多少。

剩女产生的原因有两个:
一是谁都看不上,
二是谁都看不上。

地铁里听到一个女孩大概是给男朋友打电话,“我已经到西直门了,你快出来往地铁站走。如果你到了,我还没到,你就等着吧。如果我到了,你还没到,你就等着吧。”

单身人的来由:
原来是喜欢一个人,
现在是喜欢一个人。

两种人容易被甩:
一种不知道什么叫做爱,
一种不知道什么叫做爱。

想和某个人在一起的两种原因:
一种是喜欢上人家,
另一种是喜欢上人家。

囲碁についてそれほど詳しいわけではないが、呉清源の名は知っていた。しかし、つい最近まで生きていることにはやはり驚いた。11月30日、100歳の長寿で囲碁の生涯を閉じた。

14歳に来日。その後、日中戦争の最中でも、ひとりで日本の有力棋士たちをつぎつぎと倒し、昭和最強棋士の名声を得た。故郷福州の方言が一生覚えているらしく、中国の古典が人生の愛読書だという。

きっと、囲碁の調和を追求しただけでなく、人生の調和も実践していたのだろう。

100年まえと違って、現在の中国は囲碁でも世界をリードしていて、囲碁を学ぶために来日する必要性はなくなった。

今日は文化の日(明治天皇誕生日であり、天長節・明治節だった)。県立美術館や博物館は無料開放だけど、仕事で行けない。それでも、この数日、文化的なことを多くやっていて、悔いはない。

まずは音楽関係。隣のブログサイト「趣味の世界」で書いたように、Jack+Alsaによる高音質再生システムを作ったので、音楽ソースが気になった。当時行ったCDリッピングはフォーマットが違うのと、作業自体にも気づけるべきことがあったことは認識していなかった。ドイツ製Windows用ツール Exact Audio Copy を試しに使ってみたら、エラーと表示された曲が結構あって、やり直すことに決意した。そういうことで、週末は80年代から貯めたCD数百枚を一枚一枚リッピングしなおしている。1枚5分間と結構時間がかかるので、まだ半分も終わっていない。でも、「All tracks accurately ripped」と言う表示があると、とても満足。

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つぎは青空文庫からの転送。Sony製ブックリーダーPRS-650はあまり活用していなかった。ファームウェアをバージョンアップしたらすらすらと読めたPDFファイルが重すぎて読めなくなったから。千頁あるPDFファイルをページ捲りだけでも数分かかるという有様。Sonyの技術者がちゃんとテストしていたのかな、疑うレベル。

しかし、epub形式や、xmdf形式なら文書が長くても大丈夫のようだ。ということをこの週末で発見したので、CDリッピングの待つ間、青空文庫txt圧縮ファイル→epub変換(AororaEpub3というツールによる)→ブックリーダーへの転送(ソニー自家製 eBook Transfer for Readerによる)という手順で、好きな作品をブックリーダーにさっさと入れていく。CD一枚リッピングの間に約3作品、計100以上の作品を数時間で入れることができた。

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音楽と文学作品、暫く文化的糧に困ることはなさそう。

日曜の受験時に、試験室が開くまでの30分間、東京御茶ノ水駅近くの中央大学駿河台記念館の1階にいた。広いスペースがそこにあり、かけ椅子や喫煙室があった。休憩している間、胸像を発見。

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自分が全く知らない、花井卓蔵(はないたくぞう、慶応4年6月12日(1868年7月31日) – 昭和6年(1931年)12月3日)らしい。

胸像では、顔の形が写実的に再現することに重きがおかれると言われている。本人をみたことがないし、いつの年齢のときのものかはわからないが、ひげやシワ、当時の誰が見ても花井先生だということは間違いなさそう。

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ネットで調べたら、当時の刑事弁護の第一人者らしい。とくに雄弁家として知られ、その雄弁術は「花井式弁論」と称された。胸像がそこに置かれた理由は、明治21年(1888年)に英吉利法律学校(現在の中央大学)を卒業したということかもしれない。中央大の母校が法律学校だったのだ。また、法学部を含む文系学部は駿河台校舎から多摩校舎に移転いたのが1978年で、駿河台の跡地には駿河台記念館」建てられたわけだ。

胸像からもろもろな歴史がわかったが、それよりも日曜に興味を引いたのは、胸像碑に書かれた碑文だった。

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どう、意味がわかるか。いまの日本人が読んだらちんぶんかんぶんかもしれないが、中国人に読ませたらそれ以上の中国語がない。つまり、そのまま中国語として通用するのだ。

1931年の昭和6年4月は満州事変が起きる直前。日清戦争で中国が負け、日本がアジアを君臨する国になっていた。それでも、弁護士会という日本を代表する良心、正義のところでは漢文が流行ったとは驚きだ。仮名一字たりとも入れないというのが結果論なのか、当時の風習なのか、時間があればまた調べておきたい。

文字は文化なり。古から伝承してきたものは大部分が文字であり、文章だ。ギリシア時代のことがいまでも手に取るようにわかるのは、当時に残した夥しい書物のおかげだといわざるをえない。

ふだんあまり意識しないことだが、中国にいたら日本語学習者に多く聞かれたのが日本語の学習法、上達法、というもの。

そういう問題は案外日本人が解らない。母国語なんだから。無論、大学受験のために国語は勉強しているが、日本語が全くできないところからスタートしたわけではない。英語の学習法、上達法なら、日本人と共通話題にできるかも。

日本語教育を専門とする方々なら教えてくれる。しかし、そういう先生はふだん忙しく、なかなか出会えない。またプロなので、無料で教えてくれるとは限らない。

自分の経験を踏まえると、まずは、日本語能力試験JLPTのN1、実用日本語検定 J.TESTの特A級の取得を目標にひたすら勉強すること。お金をかけてちゃんとした教科書を買い、ちゃんとした日本語学校に入ることも必要かも。仮名の読み方等は、独学では無理。

上記の目標をクリアしたら、こんどは独学していくしかない。NHKのラジオ番組、日本の新聞等、ネット時代では無料で毎日アクセスできるから、語学勉強にいいだろう。とくに新聞の社説や、朝日新聞の天声人語欄等は、よく推敲された文章なので、毎日よく読み、極意を吸収することが大事。ひとつでも疑問があれば、辞書なり、ネットを使って調べあげてその場で解決すること。

今日の天声人語は中秋の名月がテーマ。

こよいは旧暦の8月15日、中秋の名月が昇る。
多雨のきわまった夏を過ぎて、こんな年こそ、山吹色の輪のなかで餅をつくウサギををしみじみ眺めたい。
ススキに団子もいいが、双眼鏡一つあれば興を増す。

論理的によく考えたら文章に間違いが結構あるが、全体としては感心する箇所が多い。ちなみに、上の3文は自分が書けないので、手帳にメモした。「今宵」は今夜のことだが、今夜じゃ面白くない。「多雨のきわまった夏」は、なにか変な表現だが、面白い。「山吹色」って何色?「餅をつくウサギ」は、洒落た表現じゃないか。「ススキに団子」は月見のこと。「興を増す」は、自分には思いつかない表現。

語学はセンスが欠かせない。何十年経っても一向に上達しないひともいれば、1年でN1を獲得したひともいる。センスと努力、語学はそれに尽きる、と思う。

日本と同様、観光ビジネスは中国でも盛ん。西安から戻ってきたばかりに、上海にも6000年前にひとが住んでいたとか。それを紹介する崧沢遺跡博物館が週末の5月18日にオープンする。

140515.jpg発掘した骨から復元した顔。今日のひとに似ている。ほかに、稲作もしていたとか。

本当なら、当時の地球上、どこにも人が住んでいたと考えておかしくない。西安の半坡人と同時代だから。ただ、上海を発展させたのは、アヘン戦争後であることは間違いない。良くても悪くても租界が上海にできた以降だ。

5月18日の日が混むので、それ以降に崧沢遺跡博物館を見学する予定。

縁があって、黒羽の芭蕉の館を見学してきた。学芸員さんの熱心な解説や、展示されている漢文古文をみて、脳味噌の文学的細胞が少し増えたかなと喜んだ。

それでも、芭蕉俳句の良さはわからない。たとえば、

「田や麦や 中にも夏の ほとゝぎす」

名句と言われても全く納得しない。名詞、田、麦、夏、ホトトギスを並べただけで、豊かな自然と連想できるか。私には無理。田も麦も自然でできたものではなく、人工物だろう。夏は自然というよりも季節を表す言葉。ホトトギスは夏にしか生きていけない鳥でもなさそう。「夏」というキーワードがないと、全く季節感不明な句と感じる。

とくに気になったのは「中にも」という部分。なにを言いたいか理解不能。

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<メモ>中西輝政・京大名誉教授によると、日本の文明は本質的に日本列島という土壌の上に成り立っている。ゆえに海外に住みついても、何代にもわたって本国とのネットワークを維持する中国人などと違って、同化してしまう(『日本文明の肖像』展転社)という。

では、海外に「日本人街」のようなものはないか。調べたところ、戦前にあったが、その後消滅してしまったところは、米国やカナダにあった。また、ブラジルのサンパウロにいまにも残っている。

周りと同化するのが「恥の文化」とすれば、目立たないことが美徳であり、そう解釈して自然かも。