結城浩 『数学ガール フェルマーの最終定理』 ソフトバンク クリエイティブ、2008年。

結城氏はフリー作家らしい。プログラマだが、ネットを活用して、プログラム言語関係や、情報関係の書籍を出している。近年、数学の知識をまとめた数学関連の書物までも書くようになった。この「数学ガール」シリーズは、少年少女の会話を通じて、数学を解説していくという主旨。一般のひとには受けがいいが、専門として勉強するひとには簡単すぎるかも。

140301.jpg折角なので、自分にとって大事なところをメモしておく。

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今週も相変わらず読書の毎日。図書館に行って、読みたい本をあさってくる。

140228-1.jpg200年前に、20歳前後のガウスが書いた唯一の書物『ガウス整数論』。読めるところは多くないが、手元に置きたい一冊。暇な時に読めば、アイデアがわいてくる気がするから。対して、約250年前の、オイラー(Leonhard Euler)が書いた『オイラーの無限解析』は全く面白くない。さっさと返すべきものだ。

戦前・戦中の日本を代表する数学者高木氏(開発に関わった暗号がアメリカに解読されたが。)『初等整数論講義』は評判通りの名著。それよりも分かりやすいのが高名な数学者ディリクレ、デデキントの『整数論講義』。自分の数学力では後者のほうが楽しい。どちらも読破すれば仕事に活かせるかも。

復習のつもりで数時間で読んだのは、吉田武の『オイラーの贈物』(東海大学出版会、2010年)。書名にオイラーと書いたものの、高校数学の復習という内容。とても分かりやすく、目からうろこ的なところは大いにあった。勉強しない今日の社会だと、一般人に迷いなくお薦めできる数学本だ。ここで、ためになりそうな箇所をメモしておく。

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『ユークリッド原論』を読んでても感じたことですが、数学問題の答えは2種類ある。ひとつは数式か数値で答えを示すもの。

例えば、「整数1から n までの総和、つまり、1+2+…+n の和を求めよ。」という数学問題に対して、その答えを 1+2+…+n = n (n+1) / 2 と示すやり方。(この等差数列の和の計算問題は、ガウス(Carl Friedrich Gauss)の神童ぶりを紹介するエピソードとして有名だが、数学者高木氏や、多くのひとの書いた書籍を見比べると、nが100であったり、40であったり、数万であったり、バラバラ。真実性に疑問を感じた。)

いままでの教育といえば、このような公式を教えたり、証明したり、覚えているかどうかテストしたり、することがほとんど。

もうひとつの答えとは、計算方法を示すもの。情報科学でいうアルゴリズムに相当する。たとえば、ごく簡単な足し算 a+b。その答えは a+b=a+b と書くのではなく、小学校で習った足し算のやり方を文書で説明するもの。『ユークリッド原論』には、公式よりも、そういうアルゴリズムのほうが多い。

幾何の作図は原理的に上記2つ目の解答を求めるもの。また、「2数 a, b の最大公約数 gcd(a, b) を求めよ」という数学問題は数式では答えられないので、アルゴリズムを示すしかない。

公式は理論的に、他の公式から手続き的に導くことができるので、2番目の解答法のほうが1番目の大部分を包括すると考えてよさそう。つまり、2番目の解答法で解ける問題のほうが多いということだ。

コンピュータやデータベースが手軽に使える現在、公式だけで解ける問題を勉強する意味はないと思っていいかもしれない。それは知識であって、知恵ではないからだ。紙と鉛筆だけが許される試験会場では、等差数列の和の公式を覚えていれば、そういう類の問題を素早く解けるかもしれないが、公式の暗記力のテストでしかない。対して、アルゴリズムを覚えることは知識ではあるが、知恵でもある。暗記力だけでなく、応用力をテストすることも可能だ。

数学の問題をアルゴリズムで解くことができれば、数学と情報科学との依存関係が強くなり、自分のような数学専門家でない人間が多少、数学の応用に役立つかもしれない。数学専門家と正面から勝負するなら負けに決っているが、コンピュータというツールの力を借りれば、勝てるところを見つけるかもしれない。

ユークリッド第7巻~第10巻を対象に研究するひとは前6巻に比べて圧倒的に少ない。定義自体が曖昧で、よくわからないこともあろう。

たとえば、1は数であるかどうか。

<定義1>
(英語)A unit is (that) according to which each existing (thing) is said (to be) one.
(和訳)単位とは存在するもののおのおのがそれによって1とよばれるものである。
<定義2>
(英語)And a number (is) a multitude composed of units.
(和訳)数とは単位からなる多である。

定義からは1は数でないと理解してよさそうだが、命題の証明をみると、1を数と考えないと矛盾してしまう。

さらに、つぎの定義3と定義4はさらに誤解を招く。

<定義3>
(英語)A number is part of a(nother) number, the lesser of the greater, when it measures the greater.
(和訳)小さい数が大きい数を割り切るとき、小さい数は大きい数の約数である。
<定義4>
(英語)But (the lesser is) parts (of the greater) when it does not measure it.
(和訳)割り切れないときには約数和である。

明らかに、和訳は問題あり。より精確に訳すと、「大きさの異なる2数があったとき、小さい数で大きい数を測ることができれば、小さい数を大きい数の部分(part)という。小さい数で大きい数を測ることができなければ、小さい数を大きい数の部分和(parts)という。」になるのだろう。

割り切るとか、約数とか、そういうニュアンスは英文にない。もっと精確にいえば、measureとはなにか、partとはなにか、partsとはなにかを、事前に定義しておかなければいけない。partsは part の複数形と解釈すると、約数が複数あることにも通じるので、全く意味が違うから。

たとえば、2数を3と6とする。小さい数3を2回使えば、6を測る(長さという意味で)ことができるので、3は6の part だ。ここまでは定義3と一致するので、問題ない。

しかし、2数を3と7とすると、定義4によれば、3は7の parts になるのだ。ところが、7のpartは1しかない。1が単位と定義されているので、partsは単位の和ということになる。つまり、unit=part になりうるということだ。

原ギリシャ語での part と parts との対応語はなにかは分からないが、大変分かりにくい。その点、和訳のほうでは「約数」と「約数和」に訳したので、まだ理解しやすい。英語との意味は全然異なるが。

約数和(parts)について、論争する論文を見つけたので、理解の助けになるかもしれない。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004087187 (ユークリッド『原論』第7巻定義4における”μερη”の概念)

日本語では、第1巻訳のPDFファイルはネット上に見つけたが、全文がネット上に公開されているかどうかは、まだ分からない。

英語は勿論、多くのサイトで公開されている(以下は数例)。人類全体の文化遺産だからね。

http://aleph0.clarku.edu/~djoyce/java/elements/toc.html (詳細な解説付き。HTMLならではの便利さ)

http://farside.ph.utexas.edu/euclid.html (PDFファイル有。ギリシャ語(?)英語対訳版)

The thirteen books of Euclid’s Elements (書籍そのままの公開)

その他、ドイツ語、フランス語等も勿論ネット上にある。

140223.jpg何かに取り憑かれたように、最近は大好きな無線もやらず、電子工作も放り出した状態で、目的がなく、多くの本を読みあさっている。最初は電験1種の受験対策のためだが、書籍を読むこと自体が楽しくなって、電験のことを忘れたほどだ。

さて、ユークリッド原論を読んでいるが、様々な謎については解説本が役に立つ。いい加減なコメンテータ的な書籍は勿論見てはいけない。ラテン語等の原写本を実際に手にとって研究した数学者でないと信用してはならない。

斎藤憲『ユークリッド『原論』とは何か 二千年読みつがれた数学の古典』(岩波書店、2008年)が図書館にあった。原論の第1巻~4巻を主に解説している。

いくつの指摘をメモしておく。

1. 「原論」が特定の哲学の立場で議論するという解釈に懐疑的。

2. 語られた数学の痕跡が「原論」に多く、記憶に頼って教師が教えていた。だから、この部分は前のどの命題で証明済とか、どのページのどこを参照せよとか、そういう指示は「原論」に一切ない。記号の使われる順番(英語でいうA, B, C等)も、直前の命題と似た図形でも、関連性がない。

3. オリジナルの第1巻の定義部分に番号はない。定義の番号は後世の編集者によるものだ。(筆者注、しかし、写本の写真をみたところ、ローマ数字 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ等がちゃんと写っているので、要確認。)

4. 第1巻の要請(公準1~5)は、単に論理的厳密性だけを目的として宣言されたのではなく、反論が出そうな箇所に先手を打って述べられたものだ。5つの要請にしたのは、論理的厳密性という抽象的・普遍的な基準を考えていたのではなく、文句を言い出しそうなうるさ方の顔を思い浮かべていたのではないかと。ややこしい議論に巻き込まれないための予防線であった。

5. 命題の構造。命題は6つの部分、すなわち「言明」「提示」「特定」「設定」「証明」「結論」に分ける。

6. 命題4の証明のために、命題1~3が必要。命題4は2つの三角形が相等しいことを主張するもので、2つの離れた三角形が重なり、だから等しいとの証明だが、実際は三角形にもう一つの三角形を書いて、みろ、重なるだろうとの操作が入っている。別々の紙に三角形を書いて、紙同士を重ねあわせるという発想ではなく、2つの三角形は動かないものとして、片方の三角形を作図によって移動させるという考え方。だから、命題1~3はなくてはいけない。

7. 命題6は証明に不備がある。図形の配置等によって証明がいくつかの場合に別れた場合、ユークリッドは1つの場合だけを証明し、他の場合の証明は暗黙に読者にゆだねていることがある。つまり、ユークリッドとはギリシャ数学というと、すべての場合を尽くして完璧な証明を行うというイメージがあるが、そうではない。

8. 今日広く流通している「原論」の図版(図形)は原写本と大きく異る。

ユークリッド原論の第7巻、命題1から見ていく。

<命題1>
 二つの不等な数が定められ、常に大きい数から小さい数が引き去られるとき、もし単位が残されるまで、残された数が自分の前の数を割りきらないならば、最初の2数は互いに素であろう。

いわゆる「ユークリッドの互除法」の登場。2数が互いに素かどうかの判定方法でもある。

たとえば、12と9について考える。15から12を引き、残りは3になる。12から3を4回引けば、1が残らないので、12と9とは互いに素でない。

互いに素の例として、9と11について考える。11から9を引き、残りは2となる。つぎに、9から2を4回引くと、1が最後に残る。従って、9と11は互いに素である。

減算のみで計算していて、除算を全く必要としないところは素晴らしい。

<命題2>
 互いに素でない2数が与えられたとき、それらの最大公約数を見いだすこと。

ユーグリッドの互除法による最大公約数の求め方を披露している。数式ではなく、言葉で証明しているので、とてもわかにくいが、今日でも、最大公約数を導き出す最速アルゴリズムとしてコンピュータに広く利用されている。2千年来全く進歩していないわけだ。

<命題3>
 互いに素でない三つの数が与えられたとき、それらの最大公約数を見いだすこと。

3つの数をa, b, c とすると、命題で主張するのは、aとbとの最大公約数をxとするなら、xとcとの最大公約数が3数の最大公約数であることだ。

<命題4>
 すべて小さい数は大きい数の約数かまたは約数和である。

定義3(約数とは)、定義4(約数和とは)からすると自明のことのように思うが、しっかりと証明している。思うには、割り切れないということ以上に、約数和(=約数の和)の主張が大事だと伝えたかったのだろう。

無理数の存在がすでに「原論」の時代では知られたので、無理数でないことを約数和の証明を通して主張したのだと理解する。

<命題5~命題20>
 自明のように思われるので、省略。

<命題21>互いに素である2数はそれらと同じ比をもつ2数のうち最小である。
<命題22>同じ比をもつ2数のうち最小の数は互いに素である。

2数と2数との比較をやっているところをみると、とても危険だ。最小とはなにか、定義せずに使っているので、厳密さが欠けていると言わざるをえない。(2,11)と(11,2)は比例していないので、比較できないと言われればそれまでだが。

ユークリッド原論(以下原論」は最も有名な数学古典。その第1巻~第6巻はいわゆる幾何に関するものであり、ユークリッド幾何といわれるほど、よく知られている。ところが、第7巻~第10巻は整数や実数に関わるもので、注目度が比較的低い。現代の数学理論からみると、あまりにもレベルが低いと思われることが理由かもしれない。

しかし、現代の立場ではなく、2千年昔に戻って、当時の視点で読み直すと面白いと思うし、論述展開のプロセスが悟り、数学の本質をいっそう分かる可能性が潜んでいるかもしれない。

「論語」等の古典がいまでもよく読まれているので、新しいアイデアや考えが読むたびにわき出すことが古典力だと信じたい。

ということで、少しずつ第7巻~第10巻を読んでいく。

第7巻は23の定義からスタートし、命題39で構成されている。一般に「数論」と呼ばれる内容だ。

<定義1>
単位とは存在するもののおのがそれによって1とよばれるものである。

物理と違って、数学では単位について気を配ることはない。しかし、「原論」では、最初に「単位」が定義された。りんご1つを1と呼べば、りんご1つが単位となるし、りんご12個を1と考えれば、12個が単位になる。「よばれる」ところが主観であり、以下の①②が客観性を表す。

①存在するもの、②おのおの、という形容詞がとても重要。つまり、実在しないものに単位は付けられないし、実数のような連続したものにも、単位はつけられない。

<定義2>
数とは単位からなる多である。

「多」とはなにか、定義されていないところは残念。自分として、その後に書かれた内容と矛盾しない立場で考え、「多」とは「1以上」と理解する。

数学者の森毅氏が『数の現象化』(ちくま学芸文庫 2009年)20ページにおいて、こう書いた。「ギリシャ時代は、数は2から始まった。1は「数のモト」であって、「数」ではなかったのである。」

恐らく、森氏の勘違いであって、事実は違う。この定義2は曖昧だが、定義23(完全数の定義)をみると、1は約数にならないといけない。さらに、他の定義や命題を矛盾なく理解するには、1を特別な数(あるいは、単位数)と考えるのが妥当だろう。

定義2によって、数から、「ゼロ」や「負数」をハッキリと排除した。「ゼロ」や「負数」は「原論」でいう数ではないのだ。

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算数、数学は元々好きだった。小学生低学年頃、皆遊び毎日なので、少しでも勉強に時間をかければ、いい成績になる。小学4年生になると、恋が芽生え、好きな女の子に少しでも格好よくみせるために、真面目に勉強するようになった。その後、良い先生に恵まれ、勉強の楽しさがわかった。とくに、中学生になると、有名大学の数学科卒の秀才(最後に校長にも成られた)先生に教わり、数学的考え方が身についた。

それでも、いままでの長い人生の中で、数学の古典を読もうとしたことはなかった。しかし、この数日、資格受験のために数学をまた復習し始め、図書館でうろうろしている間に、数学の歴史に興味をもち始めた。

古典といえば、文学作品や古人の教えがほとんどで、数学、天文学、物理等、今日まで残された書物がほとんどないように思われる。

例外といえば、小中学校で習った幾何。ユークリッド原論が紀元前3世紀の書物と言われ、数学での聖書がそのまま伝えられていると言われている。

ということで、日本語訳のユークリッド原論を借りてきた。そして、パラパラみただけで、なるほどと納得したところがあった。

「偶数とは2等分される数である。」第7巻に書かれた偶数のこの定義は、なぜ漢字として、「偶」を使ったのか、明確に示したのではないか。「2で割り切れる」という定義なら、「偶」でなくて、「奇」と命名しても全然問題ないように思うから。

無論、有理数や実数まで考えるなら、「2で割り切れる」のほうが説明しやすい。でも、虚数まで拡張したら、2で割り切れても、偶数とは言わない。例えば、2i は偶数とは言えない。つまり、今日の偶数という定義も、整数か実数に限定しなければいけない。つまり、本質的には、ユークリッドの定義と同等だ。

「偶」に関連して、数学では、「偶関数」と「奇関数」とがある。なぜそう命名したか、いまいち納得しない。英語の「even」に対称、対等という意味があるので、それの和訳かもしれない。ならば、いっそうのこと、偶数とは「2で割り切れる」云々ではなく、「2つ同じものに分けられる」にしたほううが「偶関数」への拡張が容易にイメージできる。

先人はやはり偉大だ。研究は原著の精読から、との教え通り、古典は一度読むべきだったと痛感した今日この頃。

<追加>
 図書館で「ニュートン力学」の創設者、Sir Isaac Newton(1642~1727年)の名著『自然哲学の数学的原理(原タイトル Philosophia Naturalis Principia Mathematica)』(中野猿人訳、講談社、1977年)を確認したところ、ユークリッド原論とそっくりのスタイルで書かれている。数式をほとんど使わず、定義、公理、命題(定理)で議論を展開している。つまり、ユークリッド原論を規範としていることは明白だ。

余談だが、ニュートン力学は勿論よく分かっているつもり。力が分かれば、微分方程式F=maであらゆる運動や、あるいは、静止条件が求まる。しかし、原著をしっかり中身までみたのが初めて。難解で、ふつうのひとは読まないほうが幸せだが、原著を確認する習慣が高校生や大学生時代に身についたら違う人生を歩んでいるかもしれない。といっても、当時のラテン語で書かれた原著を確認したわけではないので、まだまだ努力不足。

勢いに任せて、TIのCASシステム電卓を手にした。決め手はずばり、その安さだ。9千円を切っていたので、思い切ってポチッた。

HP50gと比べて、サイズが随分大きいが、LCDが綺麗で、現代風のツールに相応しい。HPのPRN式は数式入力にはやはり似合わない。

電卓の購入についてはこれで打ち止め。大事なのは使い方のほう。そして、電卓以上に賢くならないといけない。

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複素数計算も問題なく、可能な限り、分数や平方根、対数で答えてくれる。数式処理なので、100%信用して問題なさそう。ちなみに、下の写真にある式2つとも、HP50gでは計算できなかった。

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