木曜のフジテレビ「ラスト・フレンズ」第3話をみて、急にそのドラマに興味持ち始め、早速ネットから第1、2話をダウンロードしてきて観た。

DV、性不一致、複雑な人間模様を描いた作品のようだ。

彼が毎日のように彼女の職場近くに行き、仕事帰りを待つ。彼女の誕生日にプレゼントし、感動の隙間に同棲を申し込む。彼女もまた家庭事情で、同棲に同意。

しかし、同棲し始めたら、彼が彼女のケータイをチェックし、男関係を疑い、暴力を振る。ありがちな展開になる。

恋人同士は、おおむね同棲に憧れる。究極の至近距離になるからだ。しかし、支配欲が強いと、相手から逃げられない覚悟も必要。

DVの原因は支配欲。度を越えた支配欲。愛情の裏返しと感じることもあるが、本当のところはどうだろう。

女性にも相手を支配する意欲があるはず。力があまりないから、DVまでは発展しないかもしれないが、本質的なところは違わないような気もする。

自殺しないのに、自殺で脅かす。そういうのも支配欲じゃないかな。

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幸せとは,日々心が明るく充実した時間を過ごし,あるいはその時間をだれかと共有することをいうのであろうか.

それだと,普通に生活していれば皆幸せになれているはず.しかし、胸張って自分が幸せだと言い切れる人はなかなかいない.

なぜかというと,人と比べてどうかという座標軸で幸せの度合いを判断してしまう人が多いから.

金銭欲・物欲に固執する人は、資産家と比較してしまい,地位・名誉に固執する人は、出世している人と比較してしまう.自分でストレスを感じるだけならまだしも,時にはそれを持たなくても幸せとしている人を知らず知らずのうちに傷つけたりすることもある.

いずれにしても,人と比較することがあまり意味の無いものだと気付いた時,その人は始めて幸せになれるのでは.

男兄弟の家庭で育ったせいか,小さい頃,どちらかといえば,異性との距離の取り方はうまいほうではなかった.

つまり,赤の他人か,恋人のような至近距離かのどちらかの取り方しかしてなくて,人生でもっとも大事な中間距離の取り方は苦手だった.

初恋は幼稚園だった記憶だけど,はっきり両思いと言えるのは小学4年生の頃だった.当時は真剣に大人になったら結婚しようと約束交わしたが,守るはずは当然ない.

その後,付き合うひともいたけれど,女友達のような存在のひとは記憶にあまりない.

あるきっかけで,自分に友達だけの距離で十分だったことに気づいた.互いにキズつけないためには,そういう中間距離は実はもっとも安らき,疲れないことに気づいたのだ.

相手を精神的にも,身体的にも独占する欲がなければ,すべてを至近距離にしても全然問題起きないわけだが,現実的ではない.生物としての人間が複数いる以上,そんな関係は不可能に近い.

となると,至近の三角関係や四角関係には必ず衝突が起きるものだ.精神的にも肉体的にもその衝突のプロセスで大きな打撃を被る.人生を楽しむというよりも,人生の試練になってしまい,距離を縮めることで却って危険に晒されてしまう.

互いにうまく距離を保ち,それを楽しむ.それが生きる喜びにも繋がるものかもしれない.自分というものを守るにはそれが一番.

真剣に悩み相談に乗ってくれて,たまに3人以上で食事をしたり遊ぶ.それ以上のものを望むことはあるだろうか.相手を守るためにも,そういう関係を互いに意識して加減よくコントロールすることが大切だろう。

皇太子殿下のお誕生日の記者会見に詠まれた詩は素晴らしく、ドロシー・ロー・ノルトというアメリカの家庭教育学者の作ったもので、スウェーデンの中学校の社会科の教科書に収録されているだそうだ。

  批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる
  殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる
  笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる
  皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる

  しかし,激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる
  寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる
  賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる
  フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる

  友情を知る 子どもは 親切を おぼえる
  安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる
  可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる

             ○ ○ ○

幼児体験はその後の人生を決定的にすることが多いだろう。知識の獲得は学校教育でもできるが、性格や人格、人生にとって大事なものは教育不可能かもしれないと思う。

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実在する ジャーナリスト河野さん(63才) が大学3年生の時に、不治の病に陥った恋人の大島みち子さんとの往復書簡集を記したベストセラー「愛と死を見つめて」が復刊になり、話題を集めている。

みち子さんが亡くなったことは河野さんにとって大変な不幸だと思うが、愛が死をもって完結したので、それは違う意味で幸せだとも思う。正直にいって、数ヶ月や数年の恋や愛を成し遂げるのは容易い。しかし、何十年や一生も貫く恋や愛は誰もができるものではない。河野さんにも一時期「重荷」として悩んだ時期があったらしいが、誰もが河野さんの立場を理解するだろう。

その本はまだ読んだことがないが、小説と違って、実際にやり取りしていた手紙なので、興味津々。「万一の場合、男らしくあきらめて、また新しい人生の幸せをさがして下さい。」そういう言葉に、なぜか心が打たれてしまう。

今のネット時代、手紙に代わってメールのやりとりは簡単だけど、心のこもったメッセージを書くことはいまも昔も大変だろう。気持ちがあって初めて書けるものであり、心と心のふれあいを求め合う双方が必要であることはいまも昔も変わらない。だから、そういう実際のやりとりに心が惹かれるのかもしれない。

今年、冬ソナを始め、韓国の純愛ドラマが日本を風靡した。ドラマ自体が今年のヒット商品番付の横綱になったり、異常ともいえる事態になっている。皆が、「人と人が思い合う、ひたむきなものにひかれ、あこがれている。」ということなのだろう。

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子供がいつの間にか進路を考える時期になっていた。その時に手にした冊子に結構まともなことが書いてあった。

将来の職業を選ぶ時に、まず自分が大事に思うものを考えること、つまり、職業の3要素、経済性・社会性・個人性について考えて欲しいという。

経済性。働くことは収入を得ることでもある。その収入によって生活するのだから、当然職業の経済性を考えないといけない。本心はどう思っているかは知らないが、ボランティアを将来やりたい若者は結構いるようだ。しかし、肝心な生活基盤をどう確保するつもりか、と問い詰めても返事がない。経済力があるから、ボランティアができるのに、キレイごとだけでは生きていけない。

社会性。働くことは、社会人としての義務と責任をもって世の中を貢献することになるので、社会性を考えないといけない。経済性は高いが、社会性の欠けている仕事や犯罪まがいの仕事はやはりやってはいけない。

個人性。自分の個性を伸ばしたり、能力を発揮して、自分の夢を実現することも仕事選びに大事。全く楽しみを感じない仕事は長くやっていけない。

これら3拍子の揃った仕事は本人にとって天職というだろうけど、実際にはそう簡単に見つけるものではない。経済性、社会性(世間体)、個人性、この3要素は仕事選びだけでなく、結婚相手を選ぶのにも通じるものがあるね。

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渡辺淳一さんのことが新聞に取り上げられている。愛の意識革命をもたらす「恋愛の毛沢東」と称されるほど、中国で大ブレークしているようだ。

渡辺さんはお医者さんだったことがご存知の通り。本人が曰く、医学と文学は、人間を探る、という意味で全く同じものだと。医学は人間を肉体的な面から、論理的に追求するのに対して、文学は人間を精神的な面から、その非論理的な面に光を当てていくという点で、大きく異なる、という。非論理的なものとして、同じ接吻や愛撫にしても、愛する者同士なら心が震えるほどの歓びを覚えるのに、嫌な相手となら顔もみたくなくなるほどの嫌悪にとらわれると表現している。

渡辺さんの作品はそんなに多く読んだわけではないが、お医者さんならではのリアリティが楽しめると同時に、愛の究極性を突き詰めるドロドロした内容が多いような気がする。愛の日常性や平凡性とは対極的に、愛を生と死のすべてとして捉えて書き上げる。「愛と性」を非論理性の最たるものに位置付け、人間の真の実態を文学を通して表現するのが渡辺さんの考え方。

論理的とはなにか。恐らく結果やなりゆきについて、ある程度予想できて、因果関係をある程度把握できる、という意味だと思う。その客観性や再現性を追及するのは科学という。愛や人間の心が本質的に非論理的かどうかは、まだ解明されていない難問のひとつだと思う。それゆえ、感動や、苦悩がつきまとい、何千年も作家達やわれわれ人間を惑わすのかもしれない。

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ペットロス症候群という言葉はご存知?可愛がっていたペットを亡くしたことによる心理的な喪失体験が原因で起こる症状のこと。喪失感、疎外感、不安感、孤独感、罪悪感、睡眠障害や食欲不振、疲労、集中力の欠如など、場合によってはうつ症状なども見られるという。最近の新潟中越地震で、ペットを残したままの避難生活が余儀なくされることが多く、ペットロス症候群に陥るひとが少なからずいると聞く。

ペットは健康維持、食料の確保、安全の確保など、すべてが飼い主に依存して生きている。つまり飼い主なしでは生きていけない。自分自身に完全に依存する命があるということ、飼い主の心の支えになっていた共依存の場合では、このペットを失った飼い主の心は完全にバランスを崩してしまう。これがペットロスを重症化する原因の一つ。

衰弱して亡くなるケースはともかく、可愛がられるペットは、ひとを裏切ることはしないので、事故や自然災害のような、不慮の要因で亡くなることがほとんど。従って、自責や後悔の念に関しては、幼いわが子を失ってしまった親と同じかもしれない。もっと気をつけていれば、もっと頑張っていれば、そういう自分を責める気持ちはより強い傾向にあるようだ。

また、ペットに対する周囲の理解も、人間の場合とは圧倒的に異なる。ペット連れの避難や、ペットのための救急は、まだ現在の社会ではあまり認められない。ペットを亡くしても、学校や会社を休むことはできないし、社会的に同情されることもすくない。

アメリカではペットロス症候群についての社会的理解が早く、大学や病院で研究がなされている。ペットロス症候群に陥ってしまった人々へのサポートシステムも充実していて、ペットロス110番という電話相談サービスや同じ悲しみを持った人々のコミュニケーションネットワークといったものも設けられているようだ。

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今日の新聞に「傾聴」という聞きなれない言葉が紹介されている。大事のようなので、まとめておく。

昨年の自殺者は国内で3万4千人を超え、交通事故死者数の1万人をはるかに上回った。また、最近ネットを介した集団自殺事件が起きた等、大きな社会問題にもなっている。悩みや苦しむ人の話を聞くのに、耳を傾ける「傾聴」が大きなカギだという。

悩みや辛さを聞く場合、「受容・共感」が重要なポイント。相手の言葉や考えの是非・善悪を判断せず、相手の感情をそのまま受け止めるのが大事だという。

たとえば、相手がため息をつく場合、そばに近寄り、「なにがあったの?」と尋ねる。ボソッと「ちょっとね...」といわれたときに、「落ち込んでいるのね」と、まず相手の感情に寄り添う。つぎの言葉を待ち、「大変だったね」等と共感的な言葉をかけ、判断やアドバイスを加えない。

相手が話をし、そのまま受け止めてもらうことで、自分の感情や考えが整理されるという。また、対処法を自ら考える力が生まれると言う。こちらから、へんに助言や励ましをしないほうがいいらしい。

自分の場合、ついつい励ましたり、アドバイスをしたりするけど、よく考えたら、当たり前のことしか言ってなくて、確かに話を聞くだけでも良かったかもしれない。話をし、泣くことだけで、体にたまったストレスが発散し、悩みが軽減されるらしい。

互いに沈黙したままでもいいから、一緒にいてあげること。誰かが常に寄り添い、時間を共有することが大切。

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性格の土台になっているのは「気質」というもの。これは遺伝によって決まる部分が大きく、あまり変化しない。広辞苑での説明はこうだ。気質とは個人の性格の基礎になっている遺伝的・生物的的な一般的感情傾向または性質。

個人の気質に関わる遺伝子を筑波大学の原田勝二助教授らが発見したという。脳内の情報伝達に関わる遺伝子で、この働きを調節している部分の遺伝子配列の違いが、気質に影響を及ぼしている。気質によってはストレスを感じやすい場合もあり、その遺伝子診断に応用できると見ている。気質に関わっているのは『コレシストキニン(CCK)』という神経伝達物質を合成する遺伝子。脳の中で様々な情報を伝達する役目を担っており、記憶や人となどに関わっている。

性格は4重構造と考えていいというひとがいる。

性格の核とも呼べる気質変わるものではない。また、気質に良いも悪いもない。大切なのは、自分の持っている気質を知り、それを認め、活かして生きること。

次に、気質を包むように、狭義の人格がある。狭義の人格については、幼少期の頃に、ほぼ形成される。これは親に責任あり、本人の責任ではない。狭義の人格は、大人になってからはもう多くは変わらない。

次に、狭義の人格を包むように、習慣的性格がある。ここが一番大事で、この部分が努力次第で、いかようにも変わるのだ。つまり、人は習慣的性格で、人や物や事態に接しているから。「性格が悪い」と称される人は、悪しき習慣を持っている人という意味。習慣的性格は、「人とどう接するか?」ということが主で、そこで発揮される。また、この習慣的性格は、態度と言ってもいいようだ。

一番外側に、習慣的性格を包むように、役割性格がある。この部分は、時や場合や状況によって意識的・無意識的に、瞬時に変わったり変えたりする。大人になるということは、この役割性格を、社会に適応するよう上手に変えていくことが出来るという。