現代の歴史教育では、アヘン戦争後の中国は半植民地社会と説明している。理由のひとつに、当時の中国における租界の存在だった。

<中国における各国租界の一覧>

イギリス
   上海(1845~1943、途中アメリカとの共同租界に変わる)
   天津(1860~1943)
   広州(1861~1943)
   漢口(1861~1927)
   九江(1861~1927)
   鎮江(~1929)
アメリカ
   上海(1848~1943、途中イギリスとの共同租界に変わる)
   天津(1862~1880)
フランス
   上海(1849~1943)
   天津(1860~1943)
   広州(1861~1943)
   漢口(1896~1943)
ドイツ
   天津(1895~1919、第1次世界大戦の敗戦国による)
   漢口(1895~1919、第1次世界大戦の敗戦国による)
ロシア
   天津(1900~1917、ロシア十月革命による)
   漢口(1896~1920、ロシア十月革命による)
イタリア
   天津(1902~1945)
ベルギー
   天津(1902~1931)
日本
   天津(1898~1943)
   漢口(1898~1943)
   蘇州(1897~1943)
   杭州(1896~1943)
   重慶(1901~1931)

整理してみたら、以下のことがわかった。

1. アメリカが租界にほとんど関心がなかった。
2. 租界の発展に力を入れたのはイギリスとフランス。
3. フランスが第2次世界大戦中ドイツに占領され、租界の権益を放すことになった。
4. イギリスは日中戦争中、中国と同盟関係を結び、租界を返すことにした。
5. 天津が北京に近いこともあって、各国の租界がもっとも多かった。
6. 清の首都北京(北平)にも中華民国の首都南京にも租界はなかった。
7. 第2次世界大戦の終了に伴い、中国(中華民国)がすべての租界を名実ともに回収した。半植民地という名称が通用するとしても、1945年までのことだった。

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