連隊長は中佐か大佐、約2000人の組織。3~4大隊からなる。

1905 年(明治38年)
  8月8日 明治天皇より軍旗拝受
  9月2日 中国大連に上陸。休戦後は韓国駐剳軍(後の朝鮮駐剳軍)の隷下となって韓国京城の警備に就く
1907 年(明治40年) 2月 帰還
1908 年(明治41年) 10月 第15師団から第14師団に所属変更
1909 年(明治42年) 5月21日 習志野から宇都宮宝木に転営 ← 宇都宮市と関わる
1919 年(大正8年) ロシアシベリア出兵、1年半後に帰還
1926 年(昭和2年) 4月 中国満州駐留、奉天に駐屯
1929 年(昭和4年) 帰還
1931 年(昭和6年) 中国満州事変に出動
1932 年(昭和7年)
  3月7日 第一次上海事変のため中国上海に上陸
  5月5日 停戦協定が成立、以後は満州に派遣される
1934 年(昭和9年)4月 帰還
1937 年(昭和12年)9月3日 中国塘沽に上陸、北京永定河渡河戦などに参加
1938 年(昭和13年) 中国徐州会戦に参加
1939 年(昭和14年)12月22日 帰還
1940 年(昭和15年)8月 所属師団の満州永久駐屯が決まり、本連隊はチチハルに駐屯する
1944 年(昭和19年)
  3月 パラオ諸島への転進が決まる
  4月24日 所属師団がパラオに到着、連隊本部や第1大隊はアンガウル島の守備に、第2大隊は師団直轄となる
  7月20日 アンガウル守備隊はパラオ本島への転進することとなり、第1大隊および他部隊と海軍部隊が残置される
  10月19日 第1大隊は玉砕する
1945 年(昭和20年)8月 終戦

歴代連隊長

 初代、清水金生、1905.7.17~
 2代目、岩満仲太郎、1907.8.4~
 3代目、土橋彪、1912.9.28~
 4代目、国司精造、1913.8.22~
 5代目、生沼昭次、1918.6.10~。後に第14師団参謀長、大分聯隊区司令官を歴任。陸軍少将。石川県出身。
 6代目、松尾伝蔵、1919.3.25~。後の2.26事件で総理と間違えられて射殺された。福井県出身。
 7代目、星野胞治、1921.7.20~
 8代目、十時維孝、1923.8.6~
 9代目、林田芳太郎、1925.3.19~
 10代目、林茂清、1928.3.4~。後に第16旅団長、陸軍中将を歴任。和歌山県出身。
 11代目、宮村俊雄、1931.3.11~
 12代目、黒田重徳、1932.8.8~。後に第4独立守備隊司令官、第26師団長、陸軍教育総監部本部長、南方軍総参謀長、幕僚長、第14軍司令官、第14方面軍(フィリピン方面軍)司令官を歴任。陸軍中将。A級戦犯。
 13代目、冨永信政、1933.8.1~。後に第21歩兵団長、第27師団長、第19軍司令官を歴任。陸軍大将。東京都出身。
 14代目、李垠、1935.8.1~。韓国人、大韓帝国皇帝高宗の第7男子。後に近衛歩兵第2旅団長、第51師団長、第1航空軍司令官を歴任。日本陸軍中将。
 15代目、坂西一良、1937.3.1~。後に陸軍歩兵学校長、第35師団長、第20軍司令官を歴任。陸軍中将。勲一等旭日大綬章。
 16代目、那須弓雄、1938.3.10~。陸軍中将。
 17代目、萩原直之、1940.3.9~
 末代、江口八郎、1941.12.24~

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1909年5月21日に歩兵第59連隊が、習志野より宇都宮市宝木(現在の若草)へ移駐した際、新兵舎とともに建築された門柱。現在、陸上自衛隊宇都宮駐屯地(茂原)に保管・展示されている。

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