「明治38年3月以降における作戦方針及び内国において設備を要する大綱」(参謀本部策定、参謀本部文書)に基づき、明治38年4月17日、第14師団の動員が発令され、福岡県小倉において編制された。所属諸隊は、各地で混成編制をなした。初代師団長は陸軍中将土屋光春。

明治38年6月13日、第14師団管下連隊、すなわち、歩兵第53、54、55、56各連隊及び騎兵第18連隊に対し、宮中において軍旗親授が執り行われた。

各地で編制を終えた第14師団は7月14日、戦地に派遣され、間もなく第3軍戦闘序列に編入され、公主嶺付近に進出し、奉天包囲網の左翼警備を担当した。

明治38年10月、講和条約が締結され、終戦となるや関東総督の令下に入り、鉄嶺付近の警備と保安に任じた。明治40年11月、任務終了となり、第10師団と交代して、国内に帰還し、第10師団跡(姫路)に駐屯した。

これよりも先、明治40年9月18日、軍令をもって陸軍省より改正陸軍常備配備が発表され、第14師団の衛戍地として宇都宮が決定していた。したがって、明治41年11月、秋季特別機動演習後、2代目師団長陸軍中将鮫島重雄は各部隊を率いて宇都宮に移駐した。

移駐当時の編制は以下の通り。

  第14師団司令部、明治41年11月23日、国本村
  歩兵第28旅団司令部、明治41年11月23日、国本村
  歩兵第66連隊、明治41年3月31日、国本村
  騎兵第18連隊、明治41年11月23日、城山村
  野砲兵第20連隊、明治41年11月23日、姿川村
  輜重兵第14大隊、明治41年11月23日、城山村
  歩兵第59連隊、明治42年5月19日、国本村

また、師団司令部の宇都宮移駐に伴い、歩兵第27旅団司令部と歩兵第2連隊、工兵第14大隊は水戸に、後に歩兵第15連隊が高崎に、歩兵第50連隊が松本に増設された。

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