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釈迦はヒマラヤ山麓に王子シッダールタとして生まれたが、29歳のとき、人生の苦悩からの解脱を求めて出家する。6年苦行の後、菩提樹下で瞑想に入り、苦悩の起こる原因と、その克服に関する理を悟って仏陀となった。その教えを要約すると次のようになるといわれている。

生きることは苦しみである。苦しみは欲望によって生じる。なぜなら我々が欲するものはすべて無常であり、変化し、滅びゆく運命にあるからである。そして我々に欲望が生じるのは、宇宙は無常であることに我々が無知であるからである。したがって仏陀の教えられた道を実践し、人生の無常さを自覚することによって欲望を克服するならば、悟りを開いて解脱することができる。こうして自我と欲望が鎮まって寂静となった状態を涅槃寂静という。

<苦諦> 人生は四苦(生老病死)という苦しみに満ちているという現実認識。なお四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を加えて八苦という。苦悩についての聖なる真理というのはこうだ。すなわち、誕生は苦悩であり、老は苦悩であり、病は苦悩であり、死は苦悩である。愛する者と別れることは苦悩であり、憎たらしい者に会うことは苦悩であり、欲しいものが手に入らないことは苦悩であり。要するに、人間の存在を構成するあらゆる物質的および精神的要素は苦悩である。

<集諦> 集というのは「集起」の略で「原因」という意味。人生の苦しみは人間の欲望に起因するという「原因の考察」。この世には何一つとして不変の実体を持つものはなく、すべては無常である。 とすれば欲望の対象もまた消えゆくものであるから、それは決して満されることはない。 このように苦悩は無常なものをわがものと思いこんで執着を抱くところに生ずる。したがって欲望に固執する者は永遠に苦悩を免れることはできないである。

<滅諦> 欲望を消滅させることによって苦しみは消え失せ、悟りの境地涅槃に達 することができるという「解決の提示」。

<道諦> 欲望を抑えて悟りに至るために必要となる修行の道という「具体的な解決法」。苦を滅する道は、苦から逃れようと努力することではなく、正しく物事を見る「正見」・正しく考え「正思」・正しく語り「正語」・正しく行為し「正行」・正しく生活し「正命」・正しく努力し「正精進」・正しく念じ「正念」・正しく心を決定させる「正定」の八つの道「八正道」にある。

人間というものは、「必ず移り変わるもの」を「永久に不変のもの」と錯覚し、無理な執着をつくりだすのだという。「人生は苦である。」と断定したことは決して悲観的・厭世的なものの見方を教えたわけではなく、「苦」そのものを直視し、心の表面でごまかすことなく一時の喜びや、楽しみは、いつかは消え失せ、その影には必ず「苦しみ」がつきまとうということを断ぜられた真意はここにある。現代生活に即していえば、酒や遊び等で一時逃れをせず、しっかりと「現実」を見すえて「苦」を正面から受け止め、その原因を見つめる態度が大事であるということ。このような時「諸行無常」の真理を悟り、今の苦しみは永遠のものでもないし、今の楽しみや喜びも永遠ではなく一時的なもので、これらの現象にとらわれない生活習慣をつけることが修行にほかならないのだろう。

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