中央大の教授を殺害した容疑者のことに関し、連日新聞に報道されている。同一研究室の元4年生の犯行だそうだ。

学生の卒業後の進路に関し、先生がアドバイスする立場だろう。とくに相談を受けたら、それなりに真剣に考えてあげないといけない。しかし、それが後に恨みを買い、殺害される動機となったら本当に気の毒だ。

報道の内容を見ると、容疑者は成績が中の上。バイオリンをやっていたが、小学校から目だった存在ではなかった。おとなしく、ひと付き合いは上手ではなく、親しい友人が少ないらしい。要するに、どこにもいそうな、ごく普通の学生のようだ。

殺害の準備をしていて、トイレで待ち伏せし、背後からいきなり突き刺す残忍な行動は、ごく普通のひとにも起こりえるという事実は大変恐ろしい。

学生との距離をどう保つべきか、先生たちや、社会全体の悩みはこれから始まるだろうか。

ネット上にそういう意見があった。本来、犠牲者となった教授に対しては、1人の師として恩義を感じ、人としての感謝を抱くべきところだが、それとは逆に、容疑者が勝手な怨恨を描いて殺害にいたった。

人間として、子供に教えるべきもっとも大切な要素が教育に欠如しているために、人への恩義を感ぜず、また、人として生きる上で大切にすべき信義が「何」であるかもわからない。人としての義務の履行はさておき、権利だけは一人前に主張する。だが、相手を思いやることができない。気に入らなければ、いとも簡単に存在を消しにかかる。

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