幸福とはなにか。それを考えているようでは、もしかして、幸福になっていないかもしれない。

<辞書にはこう書いてある>
【幸福】
 満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。

【幸福主義】
 人生の目的、行為の基準を幸福におき、精神の持続的な喜びを重んじる立場。幸福説。

【幸福追求権】
 個人が幸福を追求する権利。憲法は、公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を必要とする権利であるとしている。

<幸福の前提>
 幸福を求める前提として満たしていなければならない条件が2つある。自由(freedom)と福利(well-being)。

自由とは、強制を受けず自らの好みで選ぶ能力だ。人は生来、自身の一生について、他人に強制されず、自ら決定することを好むもの。たとえそれが例えば親の意志に沿ったものであっても、最終決定は自分で下せる保証があることが、幸福の前提となる。

福利とは、自由を有効に利用できることを保証する条件、健康・衣食住・教育等が与えられていることだ。教育も与えられず病気がちで飢えている状態で自由であっても、幸福にはなれない。

<欲求の階層構造>
 幸福とは欲求が満たされた状態といえるかもしれない。ところで人間の欲求にはどのようなものがあるだろうか。 A. マズローによれば人間の欲求は次のような階層構造になっている。

階層 1) 生理的欲求(生存本能に基づく欲求)
   2) 安全への欲求(危険な目に遭いたくない、安心して生きたいという欲求)
   3) 所属と愛の欲求(仲間になりたい、愛されたいという集団帰属の欲求)
   4) 承認欲求(仲間に認められたいという認知欲求)
   5) 自己実現の欲求(何かを達成したいという欲求)

マズローによれば人間はある階層の欲求が満たされると、1階層上の欲求を志す。このマズローの心理学は、従業員の自己実現の欲求を引き出し会社を活性化させるための環境作りを考える際のバイブルとして使われるので、耳にしたことがあるかもしれない。それはともかく、人間の欲求でどちらが優先されるべきかという問題が生じたら、より下の階層の欲求を優先させるべきであろう。

<宗教的解説>
 幸福とは、広い範囲の対象を愛し、前向きに努力し、執着から自由で、心が平安であること。

物や金への執着、名誉への執着、愛情への執着、生きることへの執着など、これらの執着から自由であること。

心の平安とは、そう簡単に得られる境地ではない。しかし、得られれば、幸福そのものであるかも知れない。他人からどのような評価を受けても、何を言われても平気。プライドを傷つけられたりしない。運が好くても悪くても冷静でいられる。何があっても心は平安なのだ。

<自己流の考え>
 欲求が満たされないから不幸と感じる。そうであれば、欲求を少なくし、レベルを低くし、数を減らし、そういう努力は大事。たとえば買物。いっぺんに欲しいものを全部は買わないで、1ヶ月1個、数ヶ月1個、というふうにしよう。どうせ全部手に入れたら、また次の欲しいものを探すから。

欲求を無くすという点では、仏教でいうところの無心・無欲・無我は幸福の極致だろうね。

でもふつうの人間である我々はそこまでできなくても、あまり多く期待せず、何事にも執着せず、平凡な毎日の中で、小さな変化や感動に敏感になり、周りを感謝する気持ちで生きていけば、幸福になるのではないかな。

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