今日の読売新聞に、中国四川大地震の際、生徒を教室に残し、真っ先に逃げ出した35才の男性教師、范美忠のことが紹介された。

范さんは北京大学卒の秀才。高校で国語を担当していた。地震が起きたとき、ぢょうど国語の授業をやっていた。最初の揺れはそれほど大きくなかったので、生徒に落ち着け、大した地震ではないと呼びかけた。しかし、すぐに建物自体がものすごく揺れはじめたので、生徒に一言も言わずに、真っ先にダッシュして逃げ出し、学校のグランドに一番着した。

地震の揺れが収まり、やっとグランドに避難してきた生徒が、先生がいなくて、我々は怖くて怖くて机の下に隠しすしかなす術がなかったよ、と訴えた。

それを聞いて、范さんは、私はひとを助けたりはしない、自分の命を最優先する。生か死かの選択をしないといけない瞬間では、自分の娘なら助けるかもしれないが、17、18才の皆さんや自分の母親のような大人は助けない、と言った。

一番問題視されたことは、范さん本人は全く反省していない点、自己犠牲は選択であって美徳ではないと言い張った点。

娘を助けるのは、娘はまだ小さく、おんぶしても素早く逃げられるからであって、大人になれば、たとえ娘でも、助けないだろう。ちょうど自分の母親を助けないと同じように。

日本に地震が多いので、大きな地震が起きた時、避難路の確保をいつも最優先事項として実行している。寝ている間でも、飛び起きてすぐに、部屋のドアを開け、玄関ドアのロックを解除したり、ベランダ側の窓をあける。つぎにやることは、テレビ等をつけ、状況を把握しながら、大事なひとの安否を確認することかな。

自分には、家族を家に残して真っ先に逃げ出すことはありえない。家族でなくても、同じ部屋に他人がいれば、自分ひとりで逃げることも考えられない。それは選択というよりも、条件反射的にひとを呼びかけ、助け合う、個人の生存可能性等のことは考えないじゃないかな。

だから、逆なんだよね。生か死かの選択が瞬間的に訪れた時に、条件反射的にひとを助けるじゃんないかな、自分を含めて多くのひとが取る行動は。瞬間的でなく、何時間も何日も、考える余裕がある時には大いに悩むかもしれないね。リスクを犯す必要があるかどうかの選択に悩むだろう。

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