久々にPPLiveを開いて、中国の25集テレビドラマ「道徳底線」をみた。

ドラマだからだろうか、不幸なことすべてがドラマに終結された。結婚式の夜、酔っ払った新婦が他人の部屋に入ってしまい、大事に守ってきた初夜を知らない男王さんにあげてしまった。その場で自殺しようとしたが、新郎や警察の説得で生きる決心をした。しかし、新郎が口先では新婦のことを許したが、心の底では嫉妬と疑いの念を解消することはなかった。

王さんは銀行マン、新郎は建築設計士、新婦は小学校の先生。

新郎は融資のことで王さんと仕事付き合いをしたが、融資が断られた。新婦が夫のために、王さんにお願いして、王さんも自分の責任と反省し、努力して融資できるようにした。そのことで、新郎はまた新婦を疑ってしまい、王さんを強姦罪で訴えることにした。左遷された王さんをみて、王さんの奥さんが新婦を誘惑罪で告訴し、新婦が学校の食堂で仕事することになった。

新郎は悩みを抱え、男の自信をなくし、不能になってしまった。新婦は妊娠に気付き、下ろそうとしたが、新郎がどうしても子供が欲しいという。

子供が生まれたが、DNA鑑定の結果、王さんの子供だった。子供のため、新郎新婦が離婚することになった。ずっと新郎を狙っていた女性がいて、離婚を機に、新郎を陥れ、新郎と結婚できた。しかし、新郎は新婦のことを忘れることができなくて、その女性とはまた離婚することになった。

新郎は新婦との再婚を試みたが、血縁のない子供をどうしても受け入れられず、最終的に、新婦が子供を連れて、教師の仕事しにチベットに行ってしまう。

冷静に考えて言えることは、不幸の根源はほとんど新郎にある。心から許しておけば、幸せな結婚生活を過ごせるはずなのに。新婦がお腹の赤ちゃんを下ろすまで言い出して、新郎と子作りすれば今度こそ100%新郎の子供が生まれると、何度も言ってくれたのに、新郎は50%の可能性に賭けてしまい、それなのに、生まれた子を受け入れられなかった。男のプライドが邪魔したのか、心の狭い男なのだろうか。

血縁のない子供を絶対に自分の子供だと認めたくない新郎、自分の子供を一生手放したくない新婦。ドラマでは、血縁の有無がとても大事視されている。中国社会の伝統的価値観だろうね。

離婚した新婦の一言。私になにも残っていないが、自分と子供との尊厳だけは守りたい。

底線とは、どんなことがあっても、人間としては越えてはいけない一線のこと、守らなければいけないもののこと。人間としての尊厳はその底線のひとつだね。

三国曹操の名言、「疑人不用、用人不疑」。組織では、信頼するに足りない人間に仕事を任せてはいけないが、任せた以上疑ってはいけない。

人間関係に当てはめると、信頼できなければ、親しい友人やパートナーとして付き合ってはいけない。しかし付き合うと決心した以上、相手を信頼し、相手を疑ってはいけない。という解釈になるだろう。

単純なようで、すごく難しいことなんだよね。心の広いひとでないとできないし、結果的にどんなにひどい目にあっても回復できる力を持っているひとでないとやれない。

さて、自分の心の広さってどれぐらいだろうか。ひとの間違いを許せるのだろうか。自分の間違いを認められるのだろうか。自分のまわりの心広いひとを大切にしないとね。

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