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知りたい、とっても。なぜ人々が感動するのか。法則があるらしい。脚本家や小説家達がそれに沿って、作品を創り上げるだそうだ。ホントかな。

辞書では、深く物に感じて心が動かされること、との説明。どういう状態だと心が動かされるか、については私には判らないが、すくなくとも感じないといけない、それは良くわかる。

「愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心である。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である。(エリ・ヴィーゼル・ふたつの世界大戦を超えて)」
という言葉通り、全く興味がなければ、感動なんかありえない。だから、感動の最低条件は共感され、引き付けられるものでないといけないことなのだろう。

ただ、関心があるだけでは感動するとは限らない。感動まで昇華するにはどこが違うだろう。

ネット上に、ディズニーの法則というのがあって、ヒントになるかもしれないので、メモしておく。

  • 感動すれば、人はもう一度そこへ来たくなる — だから、ディズニーでは、ゲストに「本当に夢の国にきた」と思ってもらうために、金と労力を惜しまない。
  • ゲストに感動を与えるために、キャストが担当する役割=キャストはゲストとのコミュニケーションで感動を与えること — お迎えする側の人間(キャスト)がパーク(ステージ=舞台)でショウを見せる。言葉と行動ですべてのキャストがゲストに歩み寄る。
    ゲストに感動を与えるために、モノが担当する役割=夢の国と思ってもらうために完璧な環境を整備すること –完璧な環境づくりには大変なお金がかかる、それでもお金をかける。遊園地ではない、ここは劇場だ。現実的な姿や「にせものとわかるもの」は絶対に見せない。
  • 夢の国に絶対にあってはいけないもの=それはゴミだ。夢の国にはゴミはない — そのために、600人のカストーリアルを使って15分に1度掃除をする。

要するに、にせものを本物らしくみせること? 確かに、実体験で感動することもあるけれど、現在社会では圧倒的に活字や映像による感動が多い。それらを本物と実感できることが大事だね。真実に感動あり、ということだろうか。

さて、社会現象になっている「冬のソナタ」にはまったひとがなぜ多いだろう。中高年が多いが、若い女性ファンも少なくない。

そのドラマに、何か「琴線」に触れるものがあるという。主役の男性に、理想と思われる「強さと優しさ」がある。女性をありのままに受け止めて、その悩みに共鳴し、成長していく女性を受け止める「器の大きさ」が感じられる。そして、自分の言葉を持っている。日本の男性は女性に対する言葉が少なく、何を考えているのか分からないのに対し、冬ソナの男性は自分の気持ちを表現する豊かな言葉を持っているらしい。

さらに、清楚で魅力的な女優に心が打たれるひとも多い。死んでしまった高校時代の淡い恋の相手を未だに忘れられないまま、一生懸命仕事をしている姿に、現実離れのある種の恋人としての理想像が成り立つのだろう。

そうした2人を巡る恋愛模様、家族の物語が、美しい風景と美しいテーマ曲をバックに展開され、最近の日本のドラマにない、ディズニー的「メルヘン」なのかもしれない。琴線に触れた人には「中毒」になる媚薬が多く揃っているドラマのようだ。

そこから感動の法則が導き出されるのだろうか。

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