日曜の受験時に、試験室が開くまでの30分間、東京御茶ノ水駅近くの中央大学駿河台記念館の1階にいた。広いスペースがそこにあり、かけ椅子や喫煙室があった。休憩している間、胸像を発見。

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自分が全く知らない、花井卓蔵(はないたくぞう、慶応4年6月12日(1868年7月31日) – 昭和6年(1931年)12月3日)らしい。

胸像では、顔の形が写実的に再現することに重きがおかれると言われている。本人をみたことがないし、いつの年齢のときのものかはわからないが、ひげやシワ、当時の誰が見ても花井先生だということは間違いなさそう。

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ネットで調べたら、当時の刑事弁護の第一人者らしい。とくに雄弁家として知られ、その雄弁術は「花井式弁論」と称された。胸像がそこに置かれた理由は、明治21年(1888年)に英吉利法律学校(現在の中央大学)を卒業したということかもしれない。中央大の母校が法律学校だったのだ。また、法学部を含む文系学部は駿河台校舎から多摩校舎に移転いたのが1978年で、駿河台の跡地には駿河台記念館」建てられたわけだ。

胸像からもろもろな歴史がわかったが、それよりも日曜に興味を引いたのは、胸像碑に書かれた碑文だった。

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どう、意味がわかるか。いまの日本人が読んだらちんぶんかんぶんかもしれないが、中国人に読ませたらそれ以上の中国語がない。つまり、そのまま中国語として通用するのだ。

1931年の昭和6年4月は満州事変が起きる直前。日清戦争で中国が負け、日本がアジアを君臨する国になっていた。それでも、弁護士会という日本を代表する良心、正義のところでは漢文が流行ったとは驚きだ。仮名一字たりとも入れないというのが結果論なのか、当時の風習なのか、時間があればまた調べておきたい。

文字は文化なり。古から伝承してきたものは大部分が文字であり、文章だ。ギリシア時代のことがいまでも手に取るようにわかるのは、当時に残した夥しい書物のおかげだといわざるをえない。

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