回民街から歩いて、南門(永寧門)に到着。西安古城に登って、西安を一望するのが夢だった。入場券54元。

140513-b.jpg140514-33.jpg140514-3a.jpg城壁の高さは約11m、厚さは底が約16m、上が約13m、西安古城1周の長さは約14キロ。

140514-31.jpg140514-32.jpg南門(永寧門)は西安古城のなかでもとくに作りが複雑で、頑丈だった。

140514-34.jpg南の城外からは吊り橋を通り、3つの門を通さないと城内には入れない。2番目の門と3番目の門の間はさらに内壁に囲まれていて、通行人が厳重に監視されていたと思われる。敵軍からの攻撃を防ぐにはよく工夫していた。

140514-35.jpg140514-36.jpg古城の上は、想像できないほどの広さ。3車線でも余裕のようだ。騎兵や兵士達が往来する当時の状況を想像するだけで、胸がワクワクしてくる。

140514-37.jpg140514-3b.jpg古城上の城楼。

140514-38.jpgレンタル自転車もあった。二人乗りして、1周回ってみたかったが、毎日沢山歩いていて、体力が温存していなかった。

140514-3c.jpg古城の上から眺めた夜景はきれいだった。

140514-3d.jpg140514-3e.jpg140514-3f.jpg北京に城壁はほとんど残っていないが、西安古城はぜひ長く保存してもらおう。

なお、西安古城並びに西安の紹介でわかったことだが、東西・南北まっすぐに道路をつくり、交差するそれぞれのブロックごとに呼び名がついていた。

140514-39.jpg上海(中国全土も同様)では、住所は道路の名前で特定することになっている(たとえば、南京東路123号)。対して、西安の昔のこういう住所特定の仕方はいまの日本に残っている。何丁目何番何号は、西安(過去の長安)流のやりかたに沿った考え方だと個人的に思っている。このように、日本の文化、慣習の多くはそのルーツを中国で見つけられることだ。中国のほうは逆に、過去の多くを捨ててしまった。

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