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算数、数学は元々好きだった。小学生低学年頃、皆遊び毎日なので、少しでも勉強に時間をかければ、いい成績になる。小学4年生になると、恋が芽生え、好きな女の子に少しでも格好よくみせるために、真面目に勉強するようになった。その後、良い先生に恵まれ、勉強の楽しさがわかった。とくに、中学生になると、有名大学の数学科卒の秀才(最後に校長にも成られた)先生に教わり、数学的考え方が身についた。

それでも、いままでの長い人生の中で、数学の古典を読もうとしたことはなかった。しかし、この数日、資格受験のために数学をまた復習し始め、図書館でうろうろしている間に、数学の歴史に興味をもち始めた。

古典といえば、文学作品や古人の教えがほとんどで、数学、天文学、物理等、今日まで残された書物がほとんどないように思われる。

例外といえば、小中学校で習った幾何。ユークリッド原論が紀元前3世紀の書物と言われ、数学での聖書がそのまま伝えられていると言われている。

ということで、日本語訳のユークリッド原論を借りてきた。そして、パラパラみただけで、なるほどと納得したところがあった。

「偶数とは2等分される数である。」第7巻に書かれた偶数のこの定義は、なぜ漢字として、「偶」を使ったのか、明確に示したのではないか。「2で割り切れる」という定義なら、「偶」でなくて、「奇」と命名しても全然問題ないように思うから。

無論、有理数や実数まで考えるなら、「2で割り切れる」のほうが説明しやすい。でも、虚数まで拡張したら、2で割り切れても、偶数とは言わない。例えば、2i は偶数とは言えない。つまり、今日の偶数という定義も、整数か実数に限定しなければいけない。つまり、本質的には、ユークリッドの定義と同等だ。

「偶」に関連して、数学では、「偶関数」と「奇関数」とがある。なぜそう命名したか、いまいち納得しない。英語の「even」に対称、対等という意味があるので、それの和訳かもしれない。ならば、いっそうのこと、偶数とは「2で割り切れる」云々ではなく、「2つ同じものに分けられる」にしたほううが「偶関数」への拡張が容易にイメージできる。

先人はやはり偉大だ。研究は原著の精読から、との教え通り、古典は一度読むべきだったと痛感した今日この頃。

<追加>
 図書館で「ニュートン力学」の創設者、Sir Isaac Newton(1642~1727年)の名著『自然哲学の数学的原理(原タイトル Philosophia Naturalis Principia Mathematica)』(中野猿人訳、講談社、1977年)を確認したところ、ユークリッド原論とそっくりのスタイルで書かれている。数式をほとんど使わず、定義、公理、命題(定理)で議論を展開している。つまり、ユークリッド原論を規範としていることは明白だ。

余談だが、ニュートン力学は勿論よく分かっているつもり。力が分かれば、微分方程式F=maであらゆる運動や、あるいは、静止条件が求まる。しかし、原著をしっかり中身までみたのが初めて。難解で、ふつうのひとは読まないほうが幸せだが、原著を確認する習慣が高校生や大学生時代に身についたら違う人生を歩んでいるかもしれない。といっても、当時のラテン語で書かれた原著を確認したわけではないので、まだまだ努力不足。

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