毛沢東のように個人崇拝を好む有力政治家が失脚し、彼の罪状を裁く裁判が1週間開かれていた。日本では、中国のリーダーや幹部といえば、すぐに腐敗というレッテルを貼るが、今回の裁判を活用して、こんなふうに腐敗していたことを詳細に報道すればいいが、ほとんどのメディアに出てこない。中国政府も彼の腐敗ぶりを見せようとするのに。それどころか、マスコミは逆に薄熙来氏に味方し、権力闘争の犠牲者とか、ヒーローと持ちあげようとしている。要するに、現政権は悪、敵対する人間すべてが味方という発想。

妻が浮気したり、部下である浮気相手が堂々と自宅に入ってきて、とても嫌がっていたとか、そういう人間臭さが逆に今回の裁判でわかった。想像するには、リーダー達もそれなり苦悩や苦労な生活を送っていた。どこにもいる人間とそう変わらない。

腐敗の実態は賄賂だろう。公金や国有財産を私有化するといった馬鹿な横領をしていなかった。賄賂も直接本人ではなく、妻や息子に送られていた。勿論、権力の力を信じ、将来の見返りを十分吟味した上での賄賂だった。賄賂の防止、しいては権力や決定の透明化がいまの中国に課せられる課題だと思った。

どこにもいる人間、どこにもある賄賂、そういう「悪」をどう克服するか、それが裁判の意味だと考えた。

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