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新聞の投稿欄に、掛時計の修理見積代の高さに不信感を抱き、100円ショップでパーツを買って自分で直したとの記事が数週間前にあった。それに対し、修理職人の夫をもつ奥さんからは、簡単にできるものもあるけれど、多くの修理は複雑で技術や時間が必要。部品の取り寄せや保証期間のことなど、相応な修理代負担に理解してほしい、との投稿があった。

どちらも判る話ではある。修理に出す側は安くしてもらいたいし、新品以上に修理代がかかるとはふつう納得のいかないものだ。修理側にしては生活がかかっているから、部品代は別として時給数千円以上でないとやっていけないし、修理以外にも、技術確保のための努力等にコストがかさむ。

私も機械修理のことについてその大変さは判っているつもり。分解、クリーニング、交換、組立、調整、すべて手作業によるものが多い。一連の作業を数分とか、十数分で終わらせるのは多くの場合無理だろう。腕時計の電池交換だって1000円とか取られる。電池そのものはせいぜい100円そこそこ。

こういう矛盾にいくつかの理由が考えられる。まずは商品が安すぎること。掛時計が高価であれば、修理費用はそれほど高く感じずに済む。つぎは人件費の高いこと。時給100円でも喜ぶ時代だと修理費用も安くそれほど問題視にされないだろう。3つ目は修理のオートメーション化はなかなか実現できないこと。人手のかからない、ロボットによる自動化とかができるのであれば、安く直せるかもしれない。

じゃ、高い人件費で、なぜ安い商品が作れたか。結局そこに大量生産、大量消費を前提とした今日の生産システムの姿が見える。修理して再利用できるようにするとか、速く修理できる設計にするとか、部品をいつまでも安く供給するとか、そういうことはあまり生産側では考慮されていないと思う。コスト至上主義のいま、省けるものはすべて省かれ、修理のことまで考える余裕はないように見える。ひとい話だが、保証期間がすぎた段階で、いかに商品が早く自然に壊れるか、そんな研究が60年代のアメリカに既にあった。

こんな生産システムが続く限り、修理代の不思議さは解消されないと思う。良質な商品は高く販売され、皆がそれを長く大事に使い、多少の故障では修理してもらえる。昔に戻るかもしれないが、それが結果的に皆が幸せになれると思うね。良いものは高い、当たり前のことを正々堂々といえる社会になって欲しい。ユニクロが安売りをやめたと宣言したのも同じ考え?いや、それは安売りではやっていけなくなった、それだけだろう。

あるいは、アメリカのようにソフト中心のIT産業にシフトする。ソフトだと修理コストのことは違う概念で考えられるし、ネットからのバグフィックスやバージョンアップにすればアフターサービスのコストが低減できる。ただ、ソフトだけでは人々の生活は支えきれないだろう。

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